残懐の刻 |
タルタロス 気がついたら、塔から放り出され、人がごった返すムーンライトブリッジの片隅にいた。 その間の記憶など、勿論残っていない―― 1月31日を最後に、影時間は完全に消失して緑色の世界を体感することも無くなり、同時に「この世界を平等に安息へと導く」為に生まれたというこの世で最も純粋な願いであると疑うことも無かった己のアイデンティティも脆く崩れ去った。 安息 確かに、世界は死を求めていたのだ。何故叶えられなかったのか、未だにわからない。 一つだけ残ったものがある。 死の刻印 ペルソナ制御剤の副産物である腕の模様だ。影時間が消えてもペルソナ能力が消えてもなお消えなかった。 元より死を望んでいた身なのだからそのことに対して憤りを覚えることはない。自分が間もなく死ぬという事実が変わらなかったことに安堵すら覚える。たとえ消えていたとしても心の底から喜ぶことなど決して無いと断言できる。この国の定める法律に従って生きてきた身でない自分が、今更「普通」と呼ばれる暮らしに順応できるとは思えないし、ずっと待ち焦がれてきた望みを真っ二つにへし折られ、「生きる」ことに望みを転換できるエネルギーなど沸くはずが無い。 選択した道は間違いなどではない。生きることを閉ざされたことによって、この選択が本当に正しいと悟った。死に抗って生きる人間たちが滑稽でたまらず、それは今も同じ。だから全て塗り替えてやりたかったのだ。 他者から不幸を与えられ続けてきたのだから、終焉の時ぐらい他者以上の幸福感を味わいながら死ぬことを望んで何が悪い。死ぬことが不幸であるというのなら定義を変えてやればいい。 人は同じ世界で生きてきたのだから同じ報いを受けるべきで、何人も逃すつもりなど無かった。その為に闘った。 何も、残らなかった。 …死を、押し返した程の力、なんて。 太陽はいつも遠く自分を見下し、月はすぐそばに優しく在った。 だが今は反対だ。 月はこの手で掴んでも爪が皮膚を食い破るだけで手に入ることはなく、太陽からはこの怠惰に過ごす時の間にも暖かな熱が届く。 こ こ この違いを感じさせる為なのか、まだこの世にいる理由は。 誰の差し金か知ったことではないが、余計な世話にも程がある。ずっと冷たい世界に押し込められていたというのに、期限付きで飾り物の楽園を味わわせるとは勝手過ぎる。 自分のしようとした事の大きさは十分承知している。 その上で世界ごと屠りたかったのだ。 私はこの愚かで勝手な世界を最期まで信じない。この歪で滑稽な世界を一秒たりとも愛してやらない。皆みんな好きに生きればいい。そして今回の安息がやってこなかったことを永遠に苦しみながら後悔すればいい。 怨むことすら疲れた。ああ、死ぬことに対してどうしてここまで暴れてしまったのか。最初から己の安息だけを求めていればこうはならずに済んだのかもしれない。最初から死以外何も望んではいなかったのだから。 そうでしょう、ジン。あなたはもう、死ねましたか? 濁って腐ったこの人生、あなたと語り合えた時間だけが、この世で過ごせた唯一の安息の時でした。 |
+++++ 【 小説置き場へ 】 残懐:思い残すこと。また、その思い。(大辞泉) こんな後日談書きながら、二人とも塔内で(略) +++++ |