ありがとう八十稲羽駅

※19歳大学生設定。陽介は都会に出てきてて一人暮らし。番長と頻繁にご飯だのなんだのと行き来してる


 4コマ目の授業の途中。今日はこの授業で終わりだけど、ただただ講義を聞くだけの時間はとてつもなく長い。解説の途中に書き足されていく黒板をぼーっと眺めてる。単位消化の為に取った講義内容に全く興味がわかず、出席とレポート提出さえすればクリアできるお手軽授業の為、端から聞く気にはなれない。そろそろ居眠りタイムに突入すっかと頭を机に乗せた。
 そんな折、ポケットの中のケータイが震えた。大講義形式の授業は人の多さも相まって、雑音が絶え間ない。振動音は全く目立つことなくかき消される。そのままの体勢でポケットに手を突っ込み、ケータイを取り出した。
 取り出している間に振動が止んだのでメールの着信だ。

 送信者は里中からだった。おー、地味に久しぶりのメールじゃんかと、ひとまずその時点で眠気は多少飛んだ。
 『重大ニューッス!』と題されたメールの中身を見て、俺の眠気は完全にぶっ飛び、暫く思考を止めた。
 その内容は、こうだ。

『八十稲羽駅がなくなっちゃうんだって!!』

「マジかよ…?」
 思わず口から出た自らの呟きで現実に引き戻されて、そのままケータイを操作し始める。我ながら物凄いスピードの指の動きだ。

『それ本当なのか?いつ?』

 送信してからそれ程時間は経っていなかったと思うが、返事が来るまでの間がやけに長く感じられた。
 帰ってきたメールには俺の名前の他に複数の名前があり、里中が一斉送信を行ったことを示している。アドレス欄には俺の他に完二とりせと直斗、そしてクマの名前が出ていた。どうやら最初の里中のメールにすぐ反応した面子が俺以外にこれだけいたらしい。
 里中からのメールの内容は、人伝で聞いたことと、駅が無くなるという日時が記載されていた。
「2月8日って…え、もう、すぐじゃん!?」
 駅一つ無くなるには、いくらなんでも急すぎやしないか?
 八十稲羽駅は終点駅だ。路線が廃線にでもならない限りは、簡単に駅が無くなるなんてあり得ない、はず。
 情報の発信源は、いつぞやも例のテレビ絡みで無責任なウワサ話を拾ってきた里中だ。言っちゃあ悪いが、本当半分ガセ半分の可能性も捨てられない。
 ケータイを操作して今度はネットに繋いだ。路線のホームページを見れば正確な情報がわかるだろう。

「改装工事、かよ…はあ」
 駅舎建替えの為、2月9日より改装工事に入ります。現在の駅舎は2月8日の終電をもって終了します、と。
 駅自体が無くなるのと、改装工事のお知らせじゃ誤報レベルだ。こりゃちっと里中に説教してやんねーと、と思った矢先に授業の終了を知らせるチャイムが鳴った。
 白いままのルーズリーフとペンの1本さえ出されなかった筆箱を鞄の中に突っ込み、ケータイ片手にさっさと教室を出た。

+++

『人からの又聞きだったからさー。あたしも話が話だけに気が動転しちゃって』
「ったく、相っ変わらずだな、出所不詳の話まるっと信じんのは…まあいい、とりあえず送信した連中に訂正いれとけよ」
『ウン、早速そうする。わざわざサンキュ。んじゃね』
 里中との通話が途切れ、ふうと一つため息を吐く。かけたのはこっちだっつーのに自分のペースで切りやがった。まあ直斗辺りは裏とってそうだけど、他の3人は丸々信じ込んでる気がするし、一秒でも早く訂正メール入れさせる方がいいだろう。
 悠と天城はまだ里中からのメールを見ていないのか、里中からの一斉送信リストには無かった。この二人も自力で気づく側だろうし、間もなく里中から訂正が飛ぶはずだし、とりあえず様子見でいいかとケータイをポケットにしまった。
 その途端だ。
 呼び出しに応じて再びポケットからケータイを取り出す。
 ディスプレイに表示されているのは“鳴上悠”の文字。今度は電話だ。
「もしもし?悠?」
『あ、陽介…里中からのメール』
「ああ、あれな。今見たのか?」
『って、今通話いいのか?ゴメンあべこべになった』
 普段悠は開口一番に、今通話大丈夫かと訊ねてくるけど、余程気持ちがはやっているのだろう。いつに無く珍しい。
「ああ、授業終わってフリーんなったからだいじょぶ」
『そうか。なああれ、八十稲羽駅が無くなるって』
 発信元である里中の方に確認を入れるべきなのに、俺へ電話してきたなんて、かなり気が動転しちまっているようだ。
「ん?まだ里中から訂正行ってないか?」
『え、訂正?』
 里中から訂正が届くとしたらタイミング的には今頃か。もし最初の里中から届いたメールだけを見て俺に電話を掛けてきたとすれば、悠の持つ情報は駅が無くなるってところで止まったままだろう。
 インターネットから拾った駅の今後の予定を悠に教えてやる。
「そ。正確には、八十稲羽駅が改装工事に入るんだとよ。今の駅の外観がガラっと変わるらしーぜ」
『改装、か…駅が無くなるわけじゃあ、ないんだな』
 だよなー、あの内容じゃどう見ても駅そのものが無くなるって解釈しちまうよな。
「そうそう。ホラやっぱりなー…お前でも誤解しちまうんだから、里中のあの書き方はないよなー。駅だけで言えば、今のよりかなりデッカくなって、モダンな?感じになるらしい。ネットの情報見る限りでは2階建てになるみたいだな」
『そう、なんだ』
「まー今の駅、大概寂れてんもんな。観光業でやってくには、もちっとキレイな方がいいかもしれねーし、そもそも老朽化がどうとかって説明書きがあったな」
『……』
「…悠?」
 気がつけば俺ばっかりがしゃべっていて、悠からの反応が極端に乏しい。何か思うところがあるんだろうか、と漠然と当たりを付けたが、もう少し悠の反応を待つことにする。
『……あ…ゴメン』
「どした?」
『いや…ちょっと…』
「…急な話でびっくりしたか?それは俺もだけど」
『うん』
「そうだよな。次行く時はもう変わってるかもだし」
『…っ』
 向こう側で、悠が息を呑んだ声無き声が、はっきりと伝わった。
 ここで確信した。きっと悠はあの駅舎の“形”が失われるのに虚脱している。
『あ…その…あの外観じゃ、無くなるんだよな』
「そうだな」
『あの駅じゃ、なくなる…のが、俺…なんかショックっぽい』
「…そっか。なあ、今日時間空いてるか?」
『ん…ああ、今日は5コマ目まで授業あるから、その後からなら』
「晩メシ、一緒に食わね?」

+++

 一足早く都会に戻った悠と、2年半の時を経て大学進学の為に再び都会へ出てきた俺。
 大学へ通い始めたら観光なんてできない…というか、頭の中から無くなるだろうと思って、俺の引越しが一段落して、大学の入学式直前のおよそ1週間、悠と二人であちこちへ足を運んだ。
 互いの行きたい場所へ日替わりで行った。
 俺の希望は服飾関係のショップを始めとして、スカイツリーやら水族館やら、ホントもうベタに若者思考だった。
 悠は俺とは真逆で、この際だから神社仏閣を攻めようなんて志向で、鎌倉の大仏を見に行こうって言われた時にはさすがにびっくりした。いや行ったけど。普通に楽しかったけど。
 俺は悠とブラブラ散策したり土産物見たりするのが楽しかったけど、悠は真面目に神社仏閣の建物、大仏様の表情を見たりするのが好ましかったようで、ああコイツって歴史ある物に対して良さを見つけるタイプなんだろなーなんて、今まで把握していなかった悠の一面がまた一つ知れた。俺としては悠のそんな新たな面を発見できて、非常に愉快でもあり、悠をよく知る仲間連中よりもまた一歩抜け出たぞっていう勝手な優越感で満たされる。それはさておき。
 レトロな、古き良き時代の駅舎が無くなるのは、悠にとって一大事なのかもしれない。
 八十稲羽駅はちっぽけで、ボロで、いつ見ても利用客が少なくて、駅員もいるのかどうかわからねーぐらいの、良くも悪くも田舎の駅の代名詞ともいえる佇まいだ。稲羽市よりちょっとでも都会と言える場所からやってきた人間が見れば、正しくド田舎を感じさせる見てくれで、俺も見慣れないうちは何度だって“田舎だよなあ”って揶揄してた。
 何時の頃からか、そんなちっぽけな駅から田舎を連想しないようになり、それって何時からだったっけと記憶を辿れば、悠と頻繁に沖奈へ遊びに行くようになってからだと思い至った。

『この週末、八十稲羽駅に行かないか』
 適当に入ったファミレスでの晩飯の最中、口数が少なく思い悩むような悠を見ていたら、自然と口から滑り出た提案。
 俺の一言に、悠は目をぱちくりさせつつも、すぐ後には思い切り首を縦に振った。
『うん。行きたい』

 週末に入れてた予定は全てキャンセル。つっても、俺の用事は一月一杯で今期の授業が終了したのでバイトだけだった。悠の方は授業とサークル活動があったみたいだけど、自主休校を決め込んだようだ。
 そして現在、二人して八十稲羽行きの電車に揺られている。
 車窓の外側がどんどん田舎風景に変化していく。幾つかのトンネルを経て、完璧な田園になった。
 久々…でもないか。正月に一度帰ってるし。あれ、そん時は別にお知らせ的なものは駅に出てなかったな。めでたい時期に今の駅舎が無くなります、って告知はしないか。どうなんだ。
 窓側に座る悠は眠っているのかと思うぐらいしゃべらない。窓ガラスにうっすらと映る顔は目を閉じておらず、じっと外の景色を見ている。
 悠はずっと考え込んでいるみたいだ。“何を”なのかは今更いうまでもないが、“どこまで”となると俺には計り知れない。
 俺も悠と何度も出かけるのに利用した駅で、どんな時も楽しくて充実した日が過ごせた。そのおかげでみすぼらしい外見が気にならなくなって、この駅はこれでいいんじゃないかって思えるようになった。それなりに思い入れができたんだ。悠と、時には他の誰かと一緒にできあがった楽しい思い出が、この駅から。
 最初に八十稲羽の駅を見た時、悠は何を思っただろう。そして今はどんなことを考えているのか。
 そういや悠は稲羽市に越して来た時、この電車を使って一人でやって来たと後から聞いた。一方の俺は家族3人、親父の運転する車でやって来た。そして後日沖奈へ買いモンに出る時になってようやく八十稲羽の駅を利用した。これが駅かよと呆気に取られたのを今でも鮮明に覚えている。本当に電車来るのかなんて失礼な疑いすらかけた。
 こう考えたら、悠と俺では八十稲羽駅に対する見方がスタートからして全然違うじゃん。
 出かかった欠伸が鳴りを潜めた。俺にとっては今のこの時は退屈な移動時間だけど、悠には心の準備と整理をする貴重な時間かもしれない。その邪魔はしたくなかった。

+++

 長時間電車に揺られ、さすがに降車してすぐに思い切り伸びをした。肩周りや首辺りの筋がゴキゴキいう。
 身体を軽くほぐし終わって周囲を見渡せば、いつもと比べて随分降車した人の数が多い気がする。いや、確実に多い。毎度沖奈駅を過ぎた辺りで車内の人数は劇的に減るけど、今日はそうじゃなかった。電車の中が終点の八十稲羽に着くまでざわついていたなんて初めてかもしんない。
「多いな、さすがに」
 長らく黙っていた悠が、久しぶりに口を開いた。人の多さの理由を把握しているかのような言い方に、そこで俺もやっとその理由に行き着いた。
「俺らとおんなじこと考えた人間が集まってる、か」
「それだけじゃない。鉄道ファンも相当いるみたいだ」
 なるほど、カメラを構えた通常の客とは雰囲気が違う一派が、電車と付近の景色が収まるような場所を求めて移動している。
 その例外を除いた、他の乗客の大半はすでに改札から出て行ったみたいで、今の電車に乗ってやって来た客でプラットホームに残っているのは俺たちだけのようだった。
 俺たちの降り立った場所は丁度目の前に“やそいなば”と書かれた駅名標が立てられている。屋根が途切れた位置に立つそれは、長年野ざらしにされたせいで酷い錆び様だ。昔ながらの白い駅名標の根元は腐食が進んでいる。プラットホームは所々欠け、白線の大半が剥げ落ちて、あるべきはずの点字タイルがこの駅には未だ一部しか備わっていない。屋根も明らかに淀んだ色調で劣化が著しい。
「こりゃ確かに…建替え時かもな」
「そうだな」
 俺に相槌を打つも、相棒の表情はどこか納得がいかないと言わんばかりの曇り方だ。多分、俺たちには急過ぎる知らせだったからだとは思うけど、計画自体はかなり前から発表されていたようだ。当たり前だろうけど。
「何もかもがそのまま、なんて事は、無常の世の中じゃあり得ないんだろうけどさ」
「うん」
 錆びだらけの駅名標に視線を送りながら、悠が今までずっと“考えていたこと”を吐き出し始めた。
「俺が関わった場所は、このままでいてくれるって…自分に都合よく考えてしまうもので」
「ああ」
「だけど本当は、何一つとしてそんな絶対的なものは無くて」
「……」
「なんだろう…結局、何が言いたいのかな、俺は」
 悠は駅名標から視線を移動させて俺の方を見た。平静を装おうとして目元が強張っている。戸惑いを上手く隠せていない。迷子が助けを求めているような――悠の顔を見れば、悠自身は分からなかった感情が、俺にはすぐわかった。
「寂しいん、だろ」
「……ああ。そうか。そうだな。寂しいんだ、俺。この駅が、この形でなくなるのが」
 憑き物が落ちたような、そんな表情。悠はようやく自分の感情に向き合えたようだった。コイツが自分の気持ちに疎いのは昔からだけど、昨日から今までずっと考え込んできて苦しかったんじゃねえだろうか。
「なあ陽介」
「ん」
「初めてこの駅に到着した時、なんて掘っ建て小屋なんだろうって思った」
「ブッ」
 駅に対してのひでぇ言い様に、思わず吹き出してしまった。俺も大概バカにしてたけど、コイツには負けてると思う。
「駅を出て、辺り見回しても見事に何も無い。何も、無かったんだ」
 悠は遠い目をして回想してる。俺は余所へ行く為に駅の外側からやって来たから、すでに何も無いってのが頭に入ってたけど、悠の場合は逆だ。電車から降りたら何も無かったんだ。同じ都会から来た身としてはその驚きは想像するに難くない。
「そうだな。何にもねえわな。辛うじて自販機があるだけだ」
「だけど、そう思ったのは最初の日だけだった。次に来た時は、一人じゃなかったから。駅からどこかへ行く時は、いつも誰かが俺のそばにいてくれた。だから、ここが質素な駅で何も無くても、電車を待ってる時間を退屈に思ったことはなかった」
 ああ、相棒も俺と同じ事を考えていたんだな。それを知って、心ん中がじんわりと熱くなる。
 だけど一方で俺は、改めてこの駅の有様を観察したのも踏まえて、改装するのも時代の流れだよなあって、あっさりと認めてしまえる心持ちだった。
 悠の落ち込み方は、俺にしては意外とも思えたんだ。真面目な悠が授業やサークル活動をサボってまで、すぐに飛んで帰りたい程の大ニュースなのかって。
「都会へ戻る日には、皆で送り出してくれた。あの日のことは一生忘れない」
 やれる以上の大仕事をやりきって、清々しい気持ちで悠を送り出したあの日は、俺の記憶にも鮮烈に刻まれている。俺だけじゃない、きっと仲間全員だ。

「あの特別な一年の始まりも終わりも…この駅からだったんだ」

 ああ、そうか。おんなじ都会からやって来たけど、悠の感じ方が俺とは全然違う理由。
 悠にとって、この駅は特別なんだ。誰よりもずっと。この駅はあの一年の、悠の始まりも終わりも知っている。
 駅そのものが無くなるわけじゃない。だけど“何にも無い”と悠に思わせたのはこの形の駅であり、“何にも負けない思い出”を持たせたのもこの建物だ。
 悠が、寂しさを感じるのは当たり前じゃないか。俺は自分の鈍感さを恥じた。

「あー、いたいたっ!悠センパイッ!」
 プラットホームの外側から、聞き覚えありまくりの声が飛んできた。その方を見れば、りせがブンブン手を振っている。その後ろに他の面子も揃っているようだ。
「もー、やっぱ着いてるんじゃない!とっくに全員揃ってセンパイたち待ってんのに!」
「わりい、すぐ出る!行こうぜ」
「うん」

+++

 改札を出ると、いつもの面子が俺たちを出迎えた。悠は早速りせとクマに取り付かれている。こっちに来る度に行われるお馴染みの儀礼だ。
「センパイが来るっていうから、私も強行軍スケジュールで帰ってきちゃった」
「そうか。ご苦労さん」
「クマもー、ジュネスのバイトあったけどお、おサボりしてセンセイに会いに来ちゃった☆」
「お前は今すぐ持ち場へ帰れ」
「ヨースケのいけずー!おにー!」
「まあまあ」
 悠が笑いながら取り成したからそれ以上追及しなかったけど、クマお前、後でぜってー絞める。
「にしても、ホント急の帰還っすね。まあ駅の一大事だけどよ」
「うん。連絡来て、いてもたってもいられなくなったっていうか」
 完二の問いへ、素直に悠が今回の件についてざわついた心情を白状する。俺もこうなった原因の里中にもう一発釘を差しておくことにした。
「駅が無くなるなんて書き方すっから、こちとら余計に焦ったんだぜ」
「あーその節は…真にゴメン」
「私もびっくりした。そんな話、一度も聞いてなかったから」
 駅周辺に手が入るのは何年も前から計画されてたみたいだけど、と天城が補足した。田舎の、超ローカルな路線なんて、まあ注目される話題にはなりにくいわな。
「でもあながち間違ってはいないんですよね。この建物は形が失われてしまうんですし」
 直斗の指摘で、今まで悠にあった笑顔が消える。現行の駅舎が間もなくその形を失うのは、紛れもない決定事項だ。
「そのせいか。今日やたら人多いのって。みんな最後の記念撮影に来てんすかね?」
 完二の発言がとどめを刺したようだ。悠の表情が完全にフリーズする。
 消えてしまう駅舎を最後にもう一度見ておきたい、その思いで俺たちはここへやって来た。だけど唐突に届いた便りを、未だ咀嚼しきれてないのも正直な心境だ。
「確かに…いつ来ても駅前ガラガラなのにね」
「ほとんどみんな、カメラ持参だねー」
 里中とりせの言うとおり、一部の鉄道ファン以外、駅舎そのものを目当てで人が訪れるなんて今まで無かっただろう。
「それだけ、この駅舎も愛されてるんだね」
 天城のしみじみとした呟きに、今日の人の多さはこの駅舎が改装されるのを惜しんでいる証なんだって思えた。俺たちだけじゃなくて、みんな大小問わず思い出を持っているんだって確信すると、周りにいる一人ひとりに握手してまわりたい気分になる。さすがに実行はしねーけど。
「センセイ、どうしたクマー?元気ないクマね」
 クマは結構人の表情の移り変わりに目聡い。相手が慕っている悠なら尚更だ。クマに訊かれ、少しだけ微笑んで、悠は気持ちの正体を明かした。
「うん、寂しいんだ、ちょっとね」
「どうして寂しいの?」
 クマだけじゃなく、全員が悠に注目して静かに話を聞こうとしている。悠は自分の気持ちの整理をつけるようにゆっくりと言葉を紡いだ。
「古くてきれいとは言えないけど、俺はこの駅舎の形が好きなんだ。素朴でこぢんまりとしてて、この八十稲羽の地に合ってるのかな。それと…この駅には、みんなと遊びに行った思い出とかが一杯詰まってるんだ。だから形が変わってしまうのが寂しくて、最後にお別れに来たんだ」
「そうクマか」
 胸の内を吐露してすっきりしたのか、悠はこの場にいる全員の顔を見ながら、今度は切り替えた気持ちを伝えた。
「寂しいけど…この駅と町にとっては喜ばしいことだよな。改装して立派な駅舎になれば、きっともっとこの駅を利用する人が増えるだろうし、ここが賑やかになる。天城屋旅館も巽屋も豆腐屋も、今以上に忙しくなるかもしれないぞ」
 悠に笑顔が戻った。それをきっかけにこの場にいる全員が笑顔になる。
 そうだよな。立派んなって、この駅と町の為になるなら、何時までもただ寂しがるのはナンセンスだ。
 思い出は思い出として、俺たちの記憶に深く刻み込んじまえばいい。手を伸ばせばいつでも届くように、語り合えるようにな。

「じゃー記念撮影といきますか!メモリが全部無くなる勢いで撮りまくっちゃうんだから!」
「ハーイ悠センパイ、早速りせと一緒に写ってくださーい!」
「おわ、りせ、オメー鳴上先輩独り占めすんな!」
「クマもー!センセイとツーショットしたいっ!」
「ハイハイ完二はとりあえず撮影係ね!早く!」
「ヨロシクマー」
「テメエら…!後でぜってー代われよ!」
「ハハ…ま、暫くあっちはあっちでやらせといて、テキトーにカメラ回してこーぜ。時間許す限り、な」
「そうですね。じゃあ最初に僕が撮影しますから」
「よろしく。後で代わるね」

+++

 結局、昼過ぎに始まった撮影会は日が暮れるまで続いた。その後愛家で晩飯食って、それぞれ家路についた。俺は実家、悠は堂島さんちだ。
 急の来訪とはいえ、悠にとって堂島さんの家は勝手知ったる第二の我が家みたいなモンだ。きっと菜々子ちゃんから熱烈な歓迎を受けているだろう。

 夜も更けて特に何もやる事が無い。しまった、家に帰る前に、ジュネスに寄って写真用紙とプリンタのインクを買っとけばよかったとちょっと後悔した。
 写真自体はSNSにアップすれば、みんな好きな写真を好きなだけ自分のパソコンなりスマホなりに取り込めるけど、何となく“形”にして残しておきたいと思った。
 ま、明日の集合時間は結構ゆっくりだし、俺の脳みそが早い目に目覚めてくれれば、ジュネスへ走ろう。
 そう決めて、今日のハイテンションを色濃く引き摺ってる現在、すんなり眠りにつけるかどうかはさておいて、ベッドへ身を横たえる。
 押入れからはクマの高いびきが聞こえてくる。俺が家を出て、空いたベッドは使ってもいいと言っておいたが、狭い所の方が落ち着クマーなんてぬかして、今も尚押入れで就寝している。全く以て変なヤツ。今日みたいな日は助かるけどな。

 今日の事をぼんやり回想してたら、枕元に置いていたケータイが振るえ、ディスプレイが光った。
 相手は悠だ。2回目の振動の最中で電話に出た。
「もしもし」
『寝てた?』
「いんや。寝ようとはしてた」
『じゃあ眠いんだな。切るよ』
「いやいや、はっきりした眠気はねーから。へーきへーき」
『そうか。ならちょっとだけ』
「うん」
『ありがとうな、陽介』
 告げられた言葉は一瞬前と声色がガラっと違っていたので、心臓が一拍強めにはねた。
「うん?ハハ、なんだよ、改まって」
 びっくりしたのを覆い隠すように笑って誤魔化せば、まだ同じ調子で悠が語りかけてくる。ホントコイツの低い声は心臓に悪い。
『こっちへ連れてきてくれたこと。感謝してる』
「…結果的には、今回は俺が連れてきたんだろうけど、俺がいなくてもお前一人でこっちに来てるって。完二の言葉借りりゃ、特別な駅の一大事なんだからさ」
 俺よりもアクティブでアグレッシブな面もある相棒のことだ、何があってもこっちに来るに違いない。俺がいたから甘えと気後れみたいなのが出ただけだろう。
『そうかもしれないけど…お前と一緒だったから動揺した根本がわかったし、それに…覚えてるか?』
「何を?」
『お前と初めて沖奈へ遊びに行ったの』
「ああ、トンボ帰りしたヤツな。俺、自分が遊び行きたいとか言っておきながら、こんなトコで油売ってねーですぐ帰ろうって。お土産だけしっかり買っていったっけ」
『正解。パーフェクト』
「発音、無駄に良すぎ」
『はは。それはともかく。その時が、稲羽に来て以来初めて、八十稲羽駅からどこかへ行ったんだ』
「そうだったんか」
 悠が転校して間もなかった4月の終わりぐらいの話だ。テレビの中に落とされた天城を救出して一息ついた頃、悠と初めて沖奈市へと赴いた。遠出と言える程ではないかもしれないけど、友達と一緒に稲羽市内を飛び出したのは、実は俺も初めてだった。なさけねーことに、悠が現れるまではずっとボッチで沖奈まで行ってたっけな。
『八十稲羽駅の楽しい思い出の始まりは、お前だったんだ』
「へ?」
 悠の声色が再び真剣なものに戻った。胸を鷲掴みされたかのような感覚にキョドり、間抜けな聞き返しが漏れた。
『陽介ってホント、いろんな意味で俺にとって一番のりなんだ。だから魔術師なのかな』
「ちょ、おま、それ」
 破裂寸前の時限爆弾を投げつけられて、思考が追っつかない。え、俺マジでコレにどう反応すりゃいいの?誰か助けて。
『八十稲羽の駅は俺にとって特別で、そのほとんどはお前と一緒にいる。だからお前も特別。って結論が出たところでいいかな。そろそろおやすみ』
「おい待て言い逃げすんなっ」
 フフっと、悠は楽しげな笑い声ひとつ残し、焦る俺を豪快に放り投げ、一方的に会話が切り上げられた。通話終了を告げるツーツー音だけが残る。
「ったく…アイツどんだけ…!」
 そりゃ俺も過去、すげーこっぱずかしい胸の内をアイツに投げかけたけど!
 こんな寝る前に!興奮する材料をぶつけた覚えはねえー!
 …眠れる自信が全く無くなった。寝坊は確実だ。さらば、ジュネスへ買い物計画。

+++

 慌しい帰郷がそろそろ終わる。見送りにはいつもの面子に加えて、今日は堂島さんと菜々子ちゃんがいる。電車の出発時刻まで、新たな二人を加えて記念撮影に余念が無い。
 記念撮影は心行くまでできたが、果たして悠は大丈夫だろうか。
 今の駅の形は間違いなく失われる。昨日気持ちを言葉にして、駅と町が発展するなら喜ばしいと受け入れてたけど、それでも少し懸念が残る。

 俺の相棒にとって、この駅舎は“特別”だから。

 “特別”の言葉の重さは、俺が一番よく知っていると言っても過言じゃない。それを失うのは…弱い俺はちょっとでも想像するのだって耐えらんねえ。気づいたらずっと当たり前に俺の傍にいると思っていた存在が、精神的であれ物理的であれ、俺から離れてしまうことに、俺は物凄く臆病だ。今の俺にとって、その対象は家族であったり、元特捜隊の面子であったり…でも真っ先にその姿を形を思い出すのは、俺の中の全部を変えてくれた、大切な相棒の悠だ。悠も今、それに直面しようとしている。対象がヒトであれモノであれ、“特別”と別離するのは悲しくて恐ろしくて、心ん中が説明がつかない程ぐちゃぐちゃになっちまう。
 けど、悠は俺じゃない。間違いなく強いヤツなんだ。自分の中の弱ささえ認めて克服しようとするんだから、もう無敵に近い。
 心配なんてする必要はねえよな。もしぐらつくようなら、ここにいる全員で悠を支えてやればいいだけの話だ。

「そろそろ時間だぞ」
 堂島さんが腕時計に目をやりながら、俺たちに出立を促す。余裕を持って集合したのに、時間が経つのは存外に早かった。
「行こうか、悠」
「ああ」
 みんなから口々に別れの挨拶が行き交う。
 悠はまた少し大きくなった菜々子ちゃんの頭を愛しげに撫で、それから足元に置いてあった1泊分のわずかばかりの手荷物を提げ直し、駅舎の方を見た。

「ありがとう、八十稲羽駅」

 昨日よりも人が集まり賑やかな駅前。
 間もなく去りゆく駅舎にメッセージを送った悠の周りだけ、俗世から切り取られたかのような、静かで穏やかな時の流れ方がした。そんな風に見えた。

 振り返ってもう一度みんなに手を振る。そうして、俺たち二人は改札をくぐった。

+++

 駅内は結構混み合っているので、駅前で別れを済ませたのは正解だった。
 発車時刻5分前、電車の扉はまだ閉められているが、すでにどの扉の前にも複数の人が並んでいる。人の少ない列を選んで俺たちも後ろについた。
「昨日より人多いな」
「そうだな。なんか嬉しいな。この駅がこんなにも大事に思われていたんだって、知れて」
「ああ。頭ん中、整理ついたか?」
 聞くまでも無い質問だとは思ったけど、今の悠の気持ちを、悠の口から聞いておきたかった。
「やっぱり、寂しい。だけど今はそれ以上に…迎え入れてくれて、送り出してくれて、感謝の気持ちで一杯だなって」
「そっか。ありがとう、だな」
「うん」
 これこそが、駅舎に向けるべき一番大事な気持ちだ。俺の中にもストンと心地良く落ちる。ああ、やっぱコイツと一緒に来てよかった。
 結局は、俺の方が教わる点がたくさんできちまうんだよな。一生敵わねえのは間違いないし、だからこそ俺にとっての“特別な存在”はコイツなんだろう。

 電車の扉が開いた。人の列が次々と車内へ入り、それに続いた。人が多いといっても、乗車した客の全員が座席に座れる程度ではある。俺たちも無事席を確保できた。短くない時間を車内で過ごすし最初から立ちっ放しってのはきつかったから丁度良かった。
 席に座って程無く、電車が動き出した。ゆっくりと八十稲羽の駅が遠ざかって行く。
 駅が見えなくなるまで悠は食い入るように窓の外を見つめていた。見えなくなってようやく頭を進行方向へ向け、ホウとひとつため息を吐いた。
 悔いが無いように、最後の最後まで目に焼き付けて…だけど、実はまだワンチャンスが残っている。
 多分、悠もそれが頭にある。
「もっかい来週…じゃねえや、もう今週だな。最終日、来ようと思えば来れるけど?」
「奇遇だな。俺もそれ考えてた」
「はは、じゃ予定空けとけよ?」
「陽介こそ」

 とんとんと出来上がった約束。
 今週末に思いを馳せ、行きとは打って変わり、悠と俺は笑顔で電車の中を過ごした。


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ペルソナ小説置き場へ 】

2014/02/02 Pixivへ先行公開 04/12 サイトへUp

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