欠けたクッキーの甘さ


いつものようにウッドロウの私室へ向かう途中で、国王とその客人であるジョニーに出されるであろう、お茶セットが用意されたワゴンを移動させているメイドと鉢合わせた。
「いよう、テレサさん」
「まあジョニー様、ごきげんよう。申し訳ありません、このようなお見苦しい姿をお目にかけてしまって」
「いんや、早くに着き過ぎた俺の方が悪いのさ」
ハイデルベルグ城に仕える者たちの立ち振る舞い方は完璧で、今のような想定外のことが起こらない限り、客に出す物の運搬する姿を客に見られるようなヘマは絶対に起こさない。邪魔にならぬよう必要な時以外極力姿を現さないことも一流のメイドであることを徹底教育されているからだ。
公式の会見ではなくごく私用での訪問であるからそれこそやって来る時間など前後して当たり前であるし、それを見越して準備に取り掛かっているが予定より1時間近く早くに訪れたのではいたしかたの無いことであり、ジョニーも全く気にしなかった。むしろ珍しい場面に遭遇して楽しいぐらいだが(舞台裏を窺えるのは大変興味のあることだ)メイド側にしてみれば失態である。ジョニーも人を使う側の身にありその辺の事情はわきまえている方だから直ちに不問を告げる。
「ありがたき寛大なお言葉に感謝いたします。今後このようなことは」
「ストップ。もうよそうや。俺に関しては詰め所に邪魔した時に皆で雑談してるように接してくれた方が嬉しいんだからよ」
「ふふ、ジョニー様ったら。ありがとうございます」
「ああ、そういやお宅の息子さんの歌の発表会、上手くいったかい?」
「ええ、先日ジョニー様に特訓していただいたおかげで。細かい所はともかく、大きく音を外さずに済みましたのよ」
「そうかい、そいつはよかった」
「誰に似たのかとんでもない音痴だったのに、本当にありがとうございました」
「いいってことよ。こんなことでよければ協力するぜ。いつもよくしてくれてる恩を少しでも返したいからな」
「恩だなんて。我々は使用人として当然のことをしているまで・・・でも皆、ジョニー様には特別に心を込めさせていただいてますわ」
「ありがたい。・・・と、引き止めて悪かったな。あ、そうだ、このワゴン・・・俺が持っていかせてくれないか?」
「そんな、これは私の仰せつかった仕事ですので、お客様であるジョニー様のお手を煩わせるようなことは」
「俺の、望み・・・だと言えば?」
「ですが・・・」
「ちいと、王様の変わった表情を見てみたいのさ。お茶も自分で淹れたい。心配しなくともウッドロウにはちゃんと経緯を説明するし、こんなことでいちいち咎めるような器の小さい王じゃないだろう」
「・・・かしこまりました。どうぞ、よろしくお願いいたします。良いお時間をお過ごし下さいませ」
「恩に切るぜ」
メイドとの会話を終了させ、ワゴンを受け継いだジョニーはそれを押して今度こそウッドロウの私室を目指す。その後姿をメイドがお辞儀をして見送り、ジョニーは後ろを振り返らず手をヒラヒラ振って応えていた。

***

ノックの音の次に、ジョニーがワゴンを押してウッドロウの部屋に進入する。
「よう」
「ジョニーさん!?」
確かに今日はジョニーがやって来る日ではある。しかし訪問予定の時間から1時間近くも早い。彼は大体時間を守る方であるから普通ウッドロウを訪ねてくる時は10分以内の誤差しかない。それだけに驚きも大きいが、一緒に過ごせる時間が長くなったことが純粋に嬉しい。
「船がかなり早く着いちまってよ。暫くはあちこち歩いて時間を潰していたんだが、お前さんに会う楽しみを控えていると思うとなかなか時間が過ぎてくれなくてな。邪魔ならもう暫く出ているが」
「いいえ、とんでもない。私もこの日を待ち焦がれていた。あの、ところで・・・城の者は?」
ジョニーと一緒に入ってきたワゴンが気になる。普段それは客人がソファに落ち着いた頃を見計らって、メイドが持ってくるものである。
「俺が早くに着過ぎたせいで、そこで鉢合わせしてな。たまには変わった登場をしてやろうと思って奪ってきたんだよ」
「ふふ、そうでしたか。あなたの思惑通り、二重にびっくりした。でも、あまりメイドたちを困らせないでいただきたい」
「今後、善処する」
厳しく教育されている従者たちのことだ、さぞかし迷ったことだろう。客人であるジョニーが求めたことだとしても客に仕事をさせることなど考えられない話だ。だがジョニーが仕事をふんだくってきたということ――それはよくジョニーが城の者たちとコミュニケーションをとり、堅苦しい上下関係を解きほぐしているという結果の賜物である。己の役目を違える従者たちではないが、考えに柔軟さができたのだろう。そういえばジョニーとの付き合いが始まって城の出入りを繰り返すようになってから、城の雰囲気も変わった気がする。多分、明るく良い方に。
「お茶、淹れてやるよ。いつものヤツでいいよな」
ワゴンの上には2種類の缶が置かれている。一つはウッドロウが好むもの、もう一つはジョニーが気に入っているものだ。いつもはこれをウッドロウの私室から一番近くにある詰め所で用意し、部屋に到着したらすぐカップに注げるよう調整して持ってくるのである。しかし今日はまだティーポットも温まっておらず、一からの状態だ。
「誰かにさせますからどうぞくつろいで下さい」
「俺はな、こう見えても芸事は一通り叩き込まれてんだ。茶を淹れるのだって例外じゃない。仕事や休息の邪魔をしてるかも知れない、こんな俺をいつだって大事に迎え入れてくれてるんだ。偶には俺もお前さんに対して何かやらせてくれ」
「邪魔だなんて、そんな。あなたが来るのを待ち望んでいるというのに、そんな悲しい言い方はしないで欲しい」
茶葉の入った容器を手に取っていたジョニーは一旦それをワゴンの上に戻して机の前に立つウッドロウのそばへ行く。
「悪い、いつもありがとうな」
笑いながらウッドロウの頬に軽くキスを送るとジョニーはワゴンの元へ戻り、お茶の準備を続けた。
「安心しな、まずい茶は俺も飲みたくないからな。突っ立ってないで座って待っていろ」
指示されてウッドロウはソファのいつも自分が座る位置へと移動して腰掛けた。今しがたジョニーの唇で触れられた頬がくすぐったくて妙に熱い。
思い起こしてみると、ウッドロウはジョニーから与えられてばかりだと思う。それが物であったり気持ちであったり、形は様々だがたくさんのモノを貰っている。私は果たしてそれらに応えられているのだろうか、いやそれ以上のモノを一つでも多くジョニーに受け取って欲しい、そう思うのである。

「うん、まずくはないな。いつもながらさすが王室ご用達の茶だ」
「おいしい、凄く」
一口飲んで、ふわりとご満悦のウッドロウの表情を見て、ジョニーも破顔する。
「そうかい?王様のお口にあって何よりだ。ま、8割茶葉のお陰だがな」
「いいえ、本当に、特別おいしい」
ジョニーが自分の為に淹れてくれたものだからまた格別に感じたのだと、ウッドロウは素直にそう思ったが、口には出さなかった。しかしその嬉しそうな表情からジョニーは何かを感じ取ったのだろう。いつも被っている帽子を取ってソファに置き、ウッドロウの肩へ若干甘えるように自分の頭を預けた。
ジョニーの髪がウッドロウの頬に触れ、先程のキスとはまた違うくすぐったさにさらされる。どちらも心地よくて幸せな気持ちになるが、何度同じ事をされても慣れない。浅からぬ間柄になってすでに何ヶ月と経過しているが、未だに緊張してしまう。自分はきっと都合のいい夢の中を彷徨っているに違いない、と。ずっと覚めないで欲しいと常から切に願っている。
不意に、ジョニーが歌い出した。
「愛しいお前と美味いお茶 優しい光降り注ぐ昼下がり こんな幸せ 他のどこにあろうか〜♪」
低く甘い美声が部屋に響く。しかしストレート過ぎる内容の歌詞に、ウッドロウは思わず噴き出してしまった。
「なんだよ、記念すべきジョニーナンバー50はコイツにしようと思ってんだぜ。笑うことないだろう?」
「すみません・・・でもあまりにも今の状況そのまま過ぎて・・・あははは」
「おいおいおい、そこまで笑われるとはあんまりだ。ま、確かに捻りも何も無いけどな」
「ごめんなさい、笑い過ぎた。でも嬉しいです。確かに・・・幸せで」
もたれられている温もりをかみ締めるよう、ウッドロウは目を閉じて自分もジョニーの方へ重心を傾ける。夢見心地の表情だ。
寄りかかる恋人とその言葉に、ジョニーは我に返ったのごとく慌てた。思わず頬が熱くなる。自分が好きだ幸せだと連呼するのはどうということはないが、相手から同じように真っ直ぐ幸せだと伝えられて、嬉し過ぎて一気に気恥ずかしい気持ちになってしまった。わけもなく叫びたくなるのを押さえ、一旦ウッドロウに預けていた頭を持ち上げた。
「あー、と、クッキー、もらっていいか?」
ジョニーが急に動いたせいで、体勢が崩れそうになったウッドロウは少し不満げな表情を浮かべたが、すぐに了解する。
「ええ、どうぞ」
「じゃ、遠慮なく」
両手で1枚ずつ摘み、片方をウッドロウに渡す。(その辺の気配りは抜かりない)
「ありがとうございます」
ウッドロウは感謝を言いつつ、少し顔に赤みが差しているジョニーを不思議に思ったが気づかないふりをしておく。
「ん、こいつも流石に美味いわ」
「シェフが聞いたら喜びます。甘さ控えめでいい味だ」
食べた感想を率直に述べ、期待を裏切らないおいしさに二人とも口元がほころんだ。
「俺よりもお前が美味いって直に言ってやった方がシェフもやる気が起こると思うぜ」
「是非実践します」
決して押し付けようとはしないものの、些細なことではあるが今のアドバイスも含め、人を使う身としての心得をジョニーから随分教わった気がする。本当に自分には無くてはならぬ人なのだと、こんな面からも痛感してしまう昨今だ。

話をしながらサクサクポリポリ、クッキーを食べ進めていた二人だったが、ジョニーの方が食べるのが早いせいで10枚あった大振りのクッキーをウッドロウの分まで手を出してしまっていた。ウッドロウが3枚目を食べ終わった時には、ジョニーはすでに6枚目を飲み込んだ後で7枚目に手が伸びかけていたのである。
「あ、しまった、お前の分まで食ってしまってた」
「ああ、私はもういいですから」
二人ともそんなに食に執着する方ではなく、出されたおやつが全部無くなることは稀である。余るのは勿体無いからと、ウッドロウの指示で最初の頃に出されていた量に比べると随分減らされたのだがそれでも余ることがほとんど。今日無くなるまでに至ったということはつまり、ジョニーが余程このクッキーを気に入ったという証拠だ。
構わず食べ尽くしてくれてよかったのだが、ジョニーはゴメンと謝りつつクッキーを掴みかけた手を改め、皿ごとウッドロウに残った1枚を差し出した。
「本当に美味かった。ついつい食べ過ぎた」
「ジョニーさんが食べて下さい。気に入ってくれたんでしょう?」
「いや、でも」
いつも自分の分以上を食べる時は忘れることなく相手に確認を取っているから、このついうっかり忘れてしまったということ自体がジョニーを後ろめたい気持ちにさせているのだろう、とウッドロウは推理する。ならば、と提案をした。
「じゃあ、半分だけ貰えないだろうか。このクッキー、1枚食べるのは大きいから億劫だけど、半分なら」
「それで、いいのかい?」
「ええ」
それじゃ、とジョニーは持っていた皿をテーブルに置き、最後の一枚を手に持って、サクリとクッキーを半分に割った・・・が、力の入り方がおかしかったのか或いは元々クッキーの裏面に変な亀裂が走っていたのか、半分に割るはずだったものが三つに割れ、真ん中の一片が皿の上に落ちてしまった。
「あちゃー」
正しく二等分できなかったことに、ジョニーが残念な声をあげる。とりあえず手に持った片方のクッキーをウッドロウに渡し、もう片方は自分の口へと放り込んだ。皿の上に残るちょうど三角形に欠けて残ったクッキーが気になるが、欠けて屑と化したものをウッドロウに渡すのは失礼だし、かといって二等分するつもりだったのに、思いがけない形でできてしまった余剰を自分の物にしてしまうのもどうかと思う。
葛藤から抜け出せないでいるジョニーを助けるように――横で観察していたウッドロウがその欠片を摘み上げ、ジョニーの口元へと運んだ。
一瞬目を白黒させたジョニーだったが、勧められるまま口を開けウッドロウの手からクッキーを受け取る。その時に少し、ウッドロウの指とジョニーの唇が触れた。
「・・・ごちそうさま」
「いえ、こちらこそ」
大の男二人がなんてことをしたんだろう、と、後からおかしくなって、同時に噴き出した。暫く過剰に笑った後、ジョニーが感想を言う。
「最後のヤツは、とびきり甘かったぜ。何でだろうな?」
「そんなの決まっている、私の気持ちの分だけ上乗せされたからでしょう?」
「お前さん、そんな台詞も吐けるようになったのかい?こりゃ、参った」

また暫く、アルコールも入っていないというのに、酔いしれたような二人の笑い声が部屋に響いた。
幸せな二人の時間が、始まったばかりのそんな昼下がり。


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タイトル配布元 :
前置きばかりに時間が。08/06/19

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