揺らめいた梅雨の一日いちじつ


第二次天地戦争終結から3年後、ファンダリアとアクアヴェイルの正式な国交が開始されるまでいよいよ秒読みとなった。外交官レベルで進められてきた会談も大詰めになり、この度初めて国王であるウッドロウがアクアヴェイルを訪れた。本来なら正式に締結するまでは外相の役割であるが、行動派の国王たっての強い希望とあり、前代未聞の国王による事前訪問が実現したのである。
ウッドロウにとって、アクアヴェイルは長らくほぼ未知の国で、天地戦争時に訪れた時は色々切羽詰っていた為ゆっくりと町を見て回ることができなかったから、国交が始まるまでにもっと見識を深くしておきたいという思いは余計に強かったのである。手渡される様々な資料を見てどういう国であるかある程度は理解していたつもりだが、写真と実際に行くのとではまるで違う。特に生活様式については空気の匂いや流れさえ取り込んだ国全体の雰囲気にいたく感動したものだ。

到着した日は曇りがちであったが、ほんの少し陽が射していた。しかしそれ以降の日という日はほぼ1日中雨が降り気温もそこそこ高いから、結果90%に届く程の高湿度に見舞われた。それどころかもう暫くこんな気候が続くというこの時期をこの国では梅雨と呼んでいる。独自の気候区分だ。

***

鬱陶しい天候の中、外交予定の5日間が終わり、6日目の午後からはアクアヴェイル王族との会食、7日目の朝に帰国、というスケジュールだったが、4日目を終えたぐらいからウッドロウの体調がすぐれないようで、5日目も同様だった。大幅に崩すには至らないのだが初日に美味だと称賛を贈った食事も日を追うごとに消化されなくなり肩で息をする様子が目立った。結果急遽、6日目午後遅くから夜半にかけて予定されていた食事会は中止、簡略化した昼食会に切りかえられた。予定変更の原因となったウッドロウ自身何度も非礼を詫びたが、事がすんなりと通ったのはジョニーの口添えがあったからである。
ファンダリアとの国交が開始される暁にはその駐留大使として任を受けているジョニーはこの会談中もウッドロウの隣で熱心に今後の打ち合わせ等に勤しんだ。全ては少しでもウッドロウのそばにいる為という下心は見え見えであるが、それ故に最大限の成果を上げ続けている。通さなければいけないことはきっちりとこなしているし、公私の分別は両者とも傍目から見ても、本当にこの二人は甘い関係にあるのかと疑問に思うほど、怖いぐらいにつけている。私の時の二人の間柄はすでに関係者には周知しきっているから最初ジョニーがこの役につくことは誰もが反対であったが、今では大使として誰も文句のつけようが無いし、むしろ国の為になっているのだから納得づくである。
世継ぎのことについては追々の課題として残っているが、元からウッドロウには結婚願望が更々無く、ジョニーがいるからというのは後付の理由である。国家安泰の為に後数年の内にけりをつけたい話ではあるが、こればかりは話題に上がることを嫌っているので重鎮達も暫くは様子を見ることにしたようだ。幸いまだ若い王なのだから。

午後からの予定が無くなり、空いた時間は休息時間と相成った。ウッドロウの休息場所はジョニーの部屋になりジョニーがウッドロウを独占した。ウッドロウも他の選択を全く考えなかったから当たり前の流れで二人はジョニーの私室でダラダラと過ごす。気分のすぐれないウッドロウにベッドを提供し、自分はソファに座ってリュートの弦を張り替えている。
この5日間確かに忙しい日程ではあったものの、あと半日の晩餐会をキャンセルしなければいけないほど身体が参る公務ではなかった。だが現に今、得体の知れないだるさを抱えてひっくり返っている。そのおかげで今ジョニーと一緒に過ごせ二人だけでいられる時間も増えたのであるが、反対にこれぐらいのことで沈んだ自分の不甲斐無さに、情けない気持ちが一層掻き立てられる。
少しの間でも腹立たしさとだるさを忘れたいとウトウト眠りに入ろうとするも、外から聞こえる雨だれの音が気になって意識を引き寄せられる。ファンダリアでは雨が降ることは滅多と無い。一年の大半は雪が降り積もり、約一ヶ月間ほど気温が上がる時期に氷点下を上回った日の降雪が雨になることがある。だからこんなに長々と降る雨は見たことが無く、雨の音にも慣れていない。腕で目を覆い、空気を大きく吸い込んで吐き出す。吸った空気はどこか生暖かくて湿っぽい。目元に置いた腕は微妙にべたついている。はっきり言って息苦しい。医師に診て貰っても特に悪い所は無く、少し疲れているからだろうと休息を勧められたのみで、実際に熱があるわけでもなく、頭痛や吐き気を抱えているわけでもなかった。はっきりとしない体調不良と湿気った空気にふつふつと苛立ちを募らせる。
少しでも抱える熱気を吐き出そうと数度深呼吸を繰り返して腕を目元から下ろし、部屋を見渡すとジョニーの姿が見当たらなかった。いつの間にか出て行ったらしく、襖が隙間を残すように開けられている。この国独特の引き戸は音が出ないからジョニーが出て行ったことにウッドロウは気づかなかった。何も言わずに出て行ったのは自分が眠っていると思ったからなのか。それまでも特にジョニーと会話しているわけではなかったが、一人でいると余計に雨音が大きく聞こえる気がする。うるさい。この国の人たちはこんな音を一ヶ月も聞き続けて平気なのだろうか。いや、この国は年中通じてよく雨が降ると聞いている。慣れているんだろう。
ウッドロウがもう一度目を閉じようとした時、階段を上ってくる足音が聞こえた。扉の隙間につま先が入れられ、よっという気合の声と共に開け放たれる。その先にコップとお茶の入ったボトルを乗せたお盆を持っているジョニーが現れた。
「お目覚めかい?」
気だるそうな表情のままのウッドロウにジョニーは微笑みを投げかける。
「それほど暑いわけでもないのにだるくて眠れない、そんなところか?」
ジョニーの推測にウッドロウはコクリと一つ頷いた後、よくわかりましたねと呟いた。
「俺もこの時期は苦手でね・・・って、この国の人間も大半は好きな気候じゃない。やって来るものを受け入れているだけでな。湿度の低い所で生まれ育ったお前さんにゃ、体調がおかしくなって当たり前さ。慣れない気候だからさぞ辛いだろう」
得体の知れぬ体調不良の理由がようやくわかり、ウッドロウはああ、とため息をついた。ジョニーはベッドのそばの机にお盆を置き、ボトルの中身をコップに注ぐ。
「飲むか?すっきりするぜ」
ウッドロウは頷いて起き上がり、礼を言ってコップを受け取る。
「麦茶だ。なかなか美味いもんだろ」
冷茶が喉を通り、その喉越しの良さに少しだけ気分がシャキっとした。
「もう一杯、いるか?」
入れられた分を飲み干したところでジョニーが窺いをたてる。もう少しだけと言うと、ん、と反応してウッドロウからコップを受け取りコップの半分ほど入れて渡してやる。その中身を一口だけ飲んで、コップを自分の額に当てた。ヒヤリとした感触が心地よい。
「本格的な夏になるよりは、今の時期の方がまだ多少は涼しいから、お前には楽だと思ったんだが・・・裏目に出てしまったな。すまない」
自分の分のお茶をグイと一口飲み、ジョニーが申し訳無さそうに謝罪する。日程を詰めていたのは主にジョニーの役割だったからだ。これしきの事で参ってしまう私がひ弱なだけだと返せば、もう一度すまないと言われた。
「嫌な季節だ、全く・・・と、きっとお前さんは思うだろう。なんて暮らし難い国だってな」
否定の言葉を伝えようとする前にジョニーは言葉を続けた。
「いや、お前さんは別にそう思っても構わない。ただ、知っていて欲しい。この国はこの雨の時期があるからこそ実りの季節に結びついていくんだ。農作物にはなくてはならないものでな。春夏秋冬、めまぐるしく動いていく季節感、てのを恐らく何処よりも大事にしている。俺もそんな国に生まれた者の端くれさ」
できれば嫌わないで欲しい、というジョニーの気持ちが漠然と伝わった気がした。杞憂なのにな、とウッドロウは思う。この国に来たかった理由が100あるとして、確実にその内の一つはジョニーの生まれ故郷へ訪れたかったことが含まれる。ジョニーの方はよくファンダリアに訪れ、その間に自分の生い立ちや生活環境を着々と吸収していっているが、それに比べればウッドロウはジョニーのことを知らなさ過ぎると思う。明かしたくないことを無理に聞き出すつもりは無いが、ジョニーシデンという人物を構成した大きなピースの内の一つであるこの国に来訪したいと思うことは恋人として自然な願望だろう。確かに今の時期は自分の身体には合わないかも知れないが、この気候一つでこの国を否定するなど有り得ない。
「国交が開始されるのは丁度来年の早春だ。その時はウチの代表がそっちに行くことになってるから、その次にこっちへ来て貰う時は秋にしよう。問題は俺がこっちへ戻れるかだなあ。駐留大使なだけにファンダリアから出られないかもなあ・・・ま、その時期になったら適当に考えるか」
秋、という聞き慣れない単語を聞いてウッドロウは首をかしげる。冬は自国の気候、夏はカルバレイスの気候、春はノイシュタットやセインガルドのような気候だろう。秋だけもう一つピンと来なかった。
「秋はそうだな、気温は春と同じような感じだが、葉っぱが色づくんだ。空気は乾燥して晴れ渡る日が多くて・・・今の気候と逆と言えばいいか。こいつは夏の時期を抜けないとお目にかかれない。赤に黄色に葉っぱが”咲いて”な。これがまた格別だ。この時期を知ってから別の季節に来たら、本当に同じ国なのかきっとびっくりすると思うぜ。この国をこっそり抜けていく人間は少なくないが、最期にはひっそりと戻ってくる理由も俺はわかる気がする」
同じ気候しか知らないウッドロウにとって、1年の内に全ての気候へと移り変わるこの国はとても不思議な国に思えてならない。そしてそんな国をジョニーは深く愛している。道楽者を演じていた時は国のことなどどうでもいいような素振りをし続けていたが、要職についた後、国についてやり取りをするその姿勢はどこまでも真摯だ。ウッドロウ自身が祖国を深く愛していることと同じで、ジョニーもまた国を守り続ける王族の一人として責任を喜んで果たしているように見える。本人は多分、否定するだろうが。
今の口ぶりから彼もまた、この国で一生を終えたいと、そう願う一人なのだろうということが窺い知れた。それは国を愛する者として当然なのだろうが、少しだけウッドロウの心がチリっと痛んだ。遠いか近いかはわからない、だけど未来にはそういう選択肢も待ち構えているということ。拭えない影にズブズブと底無し沼へと沈んでいく気分に囚われる。
少しだけ、先程より部屋が涼しくなった気がした。そう言えばブーンという音が頻繁に聞こえる。
「ああ、クーラーを入れるように頼んだんだ。シデン家と言えど、本来は梅雨が明けるまではつけないんだが、大事な客の為に今日だけ特別稼動だ。日が暮れるまでの約束だが、夜になれば涼しくなるだろうから何とか凌げるだろう」
冷蔵庫に室内灯など、生活にかかせない電力はアクアヴェイルでも随分普及してきているのだが、クーラーなどの所謂贅沢品に関してはまだまだ希少らしい。それだけに心遣いが非常にありがたく、一方でますます自己嫌悪に陥った。
「仕方が無いんだよ。お前は何も悪くない。みんな慣れない気候のせいにしちまえばいい。だからそんなに落ち込むなって」
でもそんな気候を含めてこの国を愛し、最期にはこの国へ戻りたいと思う・・・つい、さっきジョニーが口にした台詞を復唱してしまった。淡々と、しかし微量の寂しさの混ざった声色に気づいたジョニーは自分の言を思い出し、ああそれで余計にナーバスになったのか、と納得する。
「そうだな・・・死んだら骨の一部とか髪の一部とか、この地のどこかに撒いて欲しい、とは漠然と思うが」
ウッドロウの空になったコップを回収し、机の上に置く。それから起き上がっている身体を再び横になるよう上体に触れて寝かしつけたその時、クーラーの室外機がブーンと大きな音をたて、吹き出し口から冷たい風が吐き出される。ジョニーは柔らかく触れたウッドロウの肩から手は離さず少しだけ指先に力を込めた。
「俺の現在と未来は全てお前の為に有る。そして魂もまた未来永劫お前のそばに在ることを望む。こう言えばわかってくれるかい?」
じゃなきゃ、押し付けられている膨大な仕事などとっくに放棄して国外逃亡してるっつーの、とジョニーは口を尖らせて心底嫌そうな表情でため息をついた。
「それにこの時期もこう思えば案外悪くない・・・よっと」
ジョニーの身がベッドに乗り、ウッドロウの隣に寝そべってその身体を掴まえて抱き寄せ、自分が下敷きになるように身体を回転させてウッドロウを自分の身体の上に乗せる。
「こうやって俺の身体に身を委ねてダラダラできるなんて、最高だと思わないかい?」
悪びれることも無く紡がれた殺し文句に一瞬呆気に取られたウッドロウだったが、確かに最高かもしれないな、とジョニーの頬に自分の頬を寄せる。ようやく生まれたウッドロウの笑顔にジョニーは満足し、艶やかな銀髪に手を差し入れて深い口付けをひとつ、贈った。

うるさい雨の音が眠りの後押しをしてくれるなんてさっきまではあり得ないはずだったのに、今はもう心地よいものに思える。底無しの不安が霧散していき、安らかで幸せなまどろみにいざなわれた。


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梅雨でだるくてダラダラする二人の話を書きたかっただけなのに序盤大脱線。D2の事情なんて無視です。最終手段、跡継ぎは養子を貰えばいいと冗談半分で思う。イザーク王には兄弟姉妹はいなかったのか!08/07/06

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