you're forever to me >> 2-1


【 始 ま り 】



 人間界に降りて、最初に目覚めた朝はなんだか頭が重い。夢と呼ばれるものを見たせいだ。天界で眠りの訓練を行った時は何も見た記憶がないので、何も考えることなくすっと起きられたものだったが。
 まだ馴れない眠りからの目覚めだというのに、混乱する材料を投げかけられて、身体を休めるはずの眠りで疲労を感じてしまって悠は重くて深い深いため息をつくばかりだった。疲労を取る為に眠ったのに何故疲れるのか、悠には理不尽に思えてならない。
 とはいえ、いつまでも布団の上に転がってはいられず、壁のフックに吊られている制服を見て、今日からのスケジュールを思い出す。これを着てまずは学校に行かなければならない。
 寝間着を脱いでカッターシャツ、ズボンを穿く。
「重、たいな、これ」
 学生服の上着まで着てみたところ、気になったのは肩にかかる服の重さだった。天界で着ていた服はほとんど重さを感じない素材からできている。比べると雲泥の差だ。確かにこの制服というのは頑丈そうではあるがそれ故であるのかやたらと重たい。昨日着ていた服も、脱いだばかりの寝間着も天界から支給されたもので大変に軽い為、直後に着たこの制服が余計に重たく感じるのは仕方のない話かもしれない。
 学らんのボタンまで留めるとなんだかもっと重苦しい。ボタンがある服はかけなくてはならないと思っていたが、固いカラーのついた(これに何の意味があるのか悠にはわからない)詰襟の上まで留めるだなんて首を絞められているようで最早呼吸困難レベルだ。一旦は留めたボタンを外して暫く考える。まだ外した状態なら制服の重さにも耐えられるような気がする。
「……よし」
 最低限肌を露出しなければいいだろうと、悠は勝手解釈し、学らんのボタンは留めずに放置することにした。咎められれば正せばいいだけだ。

「朝ごはんできてるよ」
 身支度を整え、一階に下りると食卓に二人分のトーストが用意されていた。
「おはよ」
 目玉焼きの乗った皿を運びながら菜々子が悠に向かって挨拶する。
「おはよう」
「よしっと。じゃ、いただきます」
 菜々子が席についたので、悠もそれに倣う。丁度トースターから新しく焼きあがったパンが出てきた。
「食事は君が?」
「朝はパンをやいて…あと、メダマやき。夜は、かってくるの。お父さん、つくれないから」
 なるほど、堂島家の食事事情は大体把握できた気がする、と悠は内心で思う。どうやら堂島家では食事を自宅では作らずスーパーやお弁当屋などで調達する習慣のようだ。朝食は菜々子でも作れる簡単な目玉焼きとパンで固定。
 天界で少し人間界の料理というものについて学んできたが、悠は何となく拍子抜けた。家庭内において料理を作るのは女性である割合が多く、母がいない堂島家においては悠にお鉢が回ってくる可能性があるかもしれないと、調理訓練と称していくつかレシピを伝授され試しに作らされたものだが、作らずとも済むようである。ちなみにその調理訓練での出来栄えは、悠にしてみれば最悪に近いものだった。所謂チャーハンを作ったのであるが、味こそギリギリ食べれなくは無い程度でおさまったものの、焦がしすぎて見た目が不味そうにしか見えなかった。練習すれば上手くいくはず…と、向上心溢れる悠は調理訓練をさらに受けたいと志願したが、人間界へ降りるタイムリミットを迎えてしまい、それきりとなってしまっている。リベンジしたいとメラメラ闘志は燃え上がっているが、当分は人間界での生活に慣れるのが精一杯になるだろうし、ひとまず料理について時間を割かなくて済んだのはありがたい流れとなった。
 朝食を取り後片付けが済んだタイミングで菜々子が悠に声をかけた。
「今日から学校でしょ?とちゅうまで。おんなじ道だから…いっしょに行こ」
 どこかソワソワした様子で提案され、勿論悠には断る理由もないので申し出を受けることにした。

 鮫川河川敷。丁度この辺が堂島宅と学校までの中間地点だ。自分たち以外にも通学途中の学生や通勤途中と思しきサラリーマンがポツポツ歩いている。今日は昨日からの雨がまだ続いているせいでどの人も例外なく傘を差している。
「あと、この道、まっすぐだから。わたし、こっち。じゃあね」
 悠が向かう学校とは反対方向へと菜々子が歩いていく。途中から走り出し、視線上にいる友達らしい女の子に手を振っている。
 菜々子とやや距離が離れた頃、悠は上空を見上げた。そこにはクマが小振りな羽を広げて飛んでいた。クマはその場をクルクルと2、3回旋廻し、悠が頷くとクマは菜々子の後を追いかけていった。菜々子の通学路の把握、それが今日クマの最初の仕事だ。見届けて悠も目的地へと足を進めた。

 目的地である学校に近づいたその時、悠の背後から何やら異音が聞こえた。振り返ると、同じ制服を着ている一人の明るい髪色をした男子生徒が傘を片手に自転車をこいでおり、どこで何を間違ったのか酷く不安定なバランスでフラフラと彷徨うような運転をしていた。
「よっ…とっ…とっとぉ…」
 必死に自転車のバランスを取ろうとしている学生に対して、悠が大丈夫かと思うより前に、とても残念な結果が目の前で披露されてしまった。
 交差点の角にあった電信柱へと自転車が突っ込み、派手な音を立ててそれが転倒した。男子生徒自身は転倒を免れたものの、転倒から逃れようとした結果もっと悲惨な目にあってしまったようだ。人にとって一番弱くて痛いところを手で押さえ、呻き声をあげている。
 この場合どうしたらいいのか数秒迷ったが、知り合いならともかく見ず知らずの人間に(悠は人ではないが)、股間を押さえてピョンピョンはねている姿を慰められてもリアクションに困るだけだろうと判断し、その場を立ち去ることにした。
「そっとしておこう…」

 学校へついたらすぐに下駄箱の右手にある職員室へ来るよう通達されていたので、上履きに履き替えてそちらへと向かう。学校長と生活指導の担当と、それから担任となる諸岡の3人が悠の面談を請け負い、始業時刻直前まであれやこれやと必要事項を伝える。生徒手帳を始めとした配布物、遅刻欠席をする場合は学校に連絡を入れること、八十神高校の生徒として相応しい身の振る舞いをし校則を遵守すること、等々。天使として厳しい規律を守ってきた悠にとって、聞いている分にはそんなに難しいことではなさそうだが何せ未知の領域には違いない。
 緊張を保ったまま、いよいよ配属されるクラスへ案内される。ちなみにここまでの諸岡は学校長と生活指導の先生の手前、口数は多くなかった。自己紹介した時に、多少見下し気味の視線を寄越したところは気になったが。
 2年2組。ここが悠の所属クラスで、諸岡が扉を勢いよく開け教室へ入った。悠もその後ろに続く。
「静かにしろー!」
 教壇に立った諸岡が一喝すると、ざわついていた教室内が一気に静まり返る。
「今日から貴様らの担任になる諸岡だ!」
 いやはや、結構な迫力だと悠は素直に関心した。ゆるんだクラス内の雰囲気が払拭されて、少なくとも表面上は統率に成功している。
「いいか、春だからといって…」
 諸岡の口上がよどみなく続く。どうやら男女交際にうるさい先生らしい。そこまでは理解できた。
「あーそれからね。不本意ながら転校生を紹介する。ただれた都会から、へんぴな地方都市に飛ばされてきた哀れな奴だ」
 ただれた…?へんぴ…?日本語なのだろうか、悠の把握単語外だ。哀れはわかる。簡単に言えばかわいそうという意味のはずだ。ただれたもへんぴも哀れにかかるなら似た意味のカテゴリーなのかもしれない。
 単語の意味が分からなくて軽く混乱している悠に止めを刺したのが、これだ。
「いわば落ち武者、分かるな?女子は間違っても色目など使わんように!では、鳴上悠。簡単に自己紹介しなさい」
「…おち、むしゃ」
「んあ?貴様、今なんて?」
「おちむしゃって、何?」
 思わず、悠は疑問を口にしてしまっていた。予想外の発言に教室全体がざわっとなる。普段疑問に思ったことは、まずは自分で調べるようにしている悠だが、今のは知的好奇心が過ぎてついうっかり…というやつである。
 調べれば簡単に意味の分かる単語なのだろうと想像できたのに余計な質問をしてしまい、案の定諸岡の沸点を突破させてしまったようだ。ますます教室内の空気がまずくなっていく。
「貴様…ふざけているのか?さもなくば小学生か!?今日日の高校生はそんなこともわからんのか!大体何でも人に聞けばいいってもんじゃあないぞ!いいか貴様ら、自助努力を怠る人間にろくな未来などないことを、これから1年かけてたっぷりと身に染み込ませてやるから覚悟しろ!」
 諸岡の癇癪は収まりそうになく、さらに説教が続きそうだったが、一人の女子生徒が悪気のない声でそれを遮った。
「センセー。転校生の席、ここでいいですかー?」
 声を上げた女子生徒の右隣の席が空席だ。他に空いている机椅子は無い。
「あ?そうか。よし、じゃあ貴様の席はあそこだ。さっさと着席しろ!」
 諸岡に促され、悠は空いた席まで歩き着席した。教室の空気が若干緩む。
「アイツ、最悪でしょ。まー、このクラスんなっちゃったのか運の尽き…1年間、頑張ろ」
「…ああ」
 隣の女子生徒からヒソヒソ声で慰められるように言われ、悠はなんとなくぼんやりとした気分で頷いた。天界でこのような怒鳴られ方はされたことがなく、自分のミスとはいえ、いきなりほぼゼロ距離で叱責を食らって軽くショック状態だった。全く予想していなかったことなので正直心臓に悪い。まだまだ自分のメンタルの強さを向上させなくてはと心に誓う。

 雨はホームルームが終了しても上がらなかった。この日は授業が無く、諸岡の説教混じりの(むしろそれがメインだ)新学期の通達事項のみで解散となる。ところが諸岡が解散を告げた直後のことだ。席を立とうとした悠の耳に校内放送が入った。
「先生方にお知らせします。只今より、緊急職員会議を行いますので至急、職員室までお戻りください。また全校生徒は各自指示があるまで下校しないでください」
「うーむむ、いいか?指示があるまで教室を出るなよ」
 諸岡が校内放送を受けて教室に居る生徒へ通達し、早足で職員室へと向かった。
 入れ替わるように外からサイレンの音が聞こえてくる。1台2台の話じゃない、かなりの数のようだ。
「なんか事件?すっげ近くね、サイレン?」
「クッソ、なんも見えね。なんだよ、この霧」
「最近雨降った後とか、やけに出るよな」
 窓際にいる2、3人の男子生徒の会話が悠の耳に入ってくる。そちらの方を見て目を見張った。先程までかなり降っていたはずの雨が上がったようで、音が聞こえなくなった。代わりに霧が発生していた。白のベールに遮断されて外の景色がまるで見えない。
 これが、八十稲羽の霧か。
 想像以上の濃さだ。以前体験した霧はまだ序の口だったようで、今発生している霧は景色はおろか光すら確認できない。まるでこの学校が切り取られて、どこか違う世界に運ばれてしまったかのような異様さを悠は覚える。
 これは…今なら、場のイレギュラーが多発していてもなんら不思議ではない。クマは大丈夫だろうか。菜々子が場のイレギュラーに巻き込まれていないだろうか。見慣れない景色は、悠の不安を煽るのに十分な材料だった。
 思わず教室を抜け出し、実体化を止めて菜々子とクマの様子を見に行きたくなったが、校内に残っている生徒の数は少なくない。学校に不慣れな悠が、迂闊に動いて消えたり現れたりするのは今のところかなりリスキーだ。早々に人外の者とばれては任務が果たせなくなる。
 天使であることを人に悟られてはならない。天使が人間界で活動するに当たっての大きなタブーの一つである。天使とは神の遣い。神は一切の姿を現さないことによって恐れ敬われる地位を確立している。天使は必要に応じて神の力を誇示する為に姿を現すことがあるが、無論極稀の話である。見えない所で力を振るっているという想像こそが、神や天使たちへの畏怖となるからだ。実は天使って案外隣近所にたくさん潜り込んでいるんですよー、なんてことが知れたら一気に価値が下がってしまう。天使ならば、教えられずとも絶対に犯してはならぬミスである。万が一そうなった場合の懲罰は大変厳しいものとなるだろう。具体的な内容は悠が知るところではないが。
 教室は一定の音量でざわついていた。不安をかき消すかのごとく。


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2013/10/09

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