you're forever to me >> 2-2


 それから何分が経過しただろうか。随分と席に座ったまま待機していた気がする。教室内にいる生徒たちの苛立ちもピークを迎えようとした頃、二度目の校内放送が流れた。
「全校生徒にお知らせします。学区内で、事件が発生しました。通学路に警察官が動員されています。できるだけ保護者の方と連絡を取り、落ち着いて、速やかに下校してください。警察官の邪魔をせず、寄り道などしないようにしてください。繰り返しお知らせします…」
 事件。場のイレギュラーから発生したものだろうか。早々にクマと合流して把握に務めなければ、と今度こそ鞄を持って席を立った時、右隣の席の女子生徒が悠に声をかけてきた。
「あれ、帰り一人?よかったら一緒に帰んない?あー、あたし里中千枝ね。隣の席なのは知ってるでしょ?」
「うん、知ってる」
 正直悠は急いで帰りたかったが、せっかくの申し出を断るのは気が引ける。おまけに先程、更に続きそうだった担任の説教から助けて貰った恩もある。義理堅い面もある悠にスルーという選択肢は無かった。
「んじゃ、ヨロシク!で、こっちは天城雪子ね」
 里中は隣に立つ赤いカチューシャをした女子生徒を紹介した。
「あ、初めまして…なんか、急でごめんね…」
「のぁ、謝んないでよ。あたし失礼な人みたいじゃん。ちょっと話を聞きたいなーって、それだけだってば」
 里中に天城、か。ただ普通に途中まで帰るだけになるようだし、そんなに時間は取られないだろう。それに何でもいいからこの町の話を訊けるのなら有用な機会であると、悠は前向きに捉えることにした。
 3人連れ立って帰ろうとすると、なにやら顔色が優れない男子生徒が里中に話しかけてきた。その手に何かを持っている。
「あ、えーと、里中…さん」
 どこかで見た記憶が残る男子生徒だった。発せられたその声も。そんなに記憶が遠くない。確か…と悠が思い出す前に、会話が進められる。
「これ、スゲー、面白かったです。技の繰り出しが流石の本場つーか……申し訳ない!事故なんだ!バイト代入るまで待って!じゃ!」
 里中の手に押し付けるようにケースを渡し、男子生徒は素早く立ち去ろうとした、が、その様子に不信感を抱いた里中の足が深く考えるよりも前に動き、男子学生を追いかける。
「待てコラ!貸したDVDに何した?」
 教室の出入り口手前で追いついた里中が男子生徒に向かって足を振り上げた。腰に蹴りがきれいに決まり、男子生徒の身体が手近の机へ突っ込んだ。
「どわっ!」
 足止めに成功し、里中はすぐさま返されたケースの中身を確認する。里中が目にしたのは、大きなヒビの入った銀盤だった。
「なんで!?信じられない!ヒビ入ってんじゃん…あたしの“成龍伝説”がぁぁぁ…」
 里中の悲鳴のような嘆きが教室中に響き渡る。どうやら大層大事なものらしい。
「俺のも割れそう…つ、机のカドが、直に…」
 一方の男子生徒は、里中の蹴りによって重大な箇所を打ちつけたらしい。苦悶の声がそれを物語る。
「だ、大丈夫?」
「ああ、天城…心配してくれてんのか…」
「いいよ、雪子。花村なんか放っといて帰ろ」
 自業自得と言わんばかりに、里中は男子生徒に目もくれず、ケースを閉じて鞄の中にしまうとスタスタ歩いて教室から出て行った。気の毒そうな視線を送りつつ、天城も里中に続いて教室を出る。
 男子生徒の股間を押さえてピョンピョンはねている様子を見て、今朝学校付近の住宅地での出来事がオーバーラップする。悠はようやく思い出した。この男子生徒は電柱に自転車をぶつけていた人物だ。ということは、あの時に里中から借りたものが破損したのかもしれない。そうではないかもしれないが。とにかく二重苦に見舞われかなり痛そうだ。あまりにも気の毒だとは思うが、残念ながら自分にできることは何も無いだろう。人と天使の違いはあれど性別は同じ。男には優しさや同情などがいらない、見て見ぬふりをしておいて欲しい瞬間がある。
 そっとしておこう…心の中で合掌しつつ、悠もその場を後にした。

 学校を出るとあれほどまで濃かった霧が大方晴れていた。うっすらと残っていたものの、視界は悪くない。
 これがもし、先程のような濃い霧の状態で――唐突ともいえるタイミングで自分たち3人の目の前に、見知らぬ他校の男子学生が現れていたとしたら、単なる不審者ではなく最早ホラーレベルのアクシデントだったに違いない。
 天城を遊びに誘おうと正門前で待ち構えていたらしい他校の男子学生は、登場の不気味さの割には、天城が一言拒否を告げただけで存外にあっさりと退散していった。上手くいかなかった苛立ちはありありと表情に浮かんでいたが。悠の目から見えるわけではないが、人から霧が出るとしたら、負の感情を纏ったああいうような時なのだろうと漠然と思った。
「よう天城、また悩める男子フッたのか?」
 飄々とした声とキーキーと甲高い異音が聞こえたと思ったら、後ろからさっき里中に蹴りを食らった結果、あらぬ部分を強打して悶絶していたクラスメイトの男子生徒が自転車を押してやってきた。復活を遂げて彼も下校するらしい。
「まったく罪作りだな…俺も去年、バッサリ斬られたもんなあ」
 悠には話があまりよく見えないが、この男子生徒も天城に声をかけてふられたとみられる。口調は明るかったが表情は淡々としていた。
 ところがそうかと思えば二言目以降、天城の返答に対して口調も表情もクルクル器用に変えてみせる男子生徒。朝見かけた時も、教室を出る間際のやり取りでも不可抗力とはいえ辛そうな顔しかしていなかったので、こんなにも表情が豊かなことに悠は面食らった。
 だけどなんだろう、男子生徒の浮かべる表情は少しばかりオーバー気味なのかなと思う。悠にはそうしなければいけないかのような表情の作りかえ方に見えた。たった数十秒のやり取りを横から見てるだけでこんな評をするのも変だとは思うし、何故こんなに初対面の人の表情をじっくり観察しているのかはわからない。何か惹きつけられる要素があるのだろうかと思って、オーラが出ているかどうかを探ってみたが特に何も見えない。
「つーか、お前ら、あんま転校生イジメんなよー」
 去り際に男子生徒と目が合い、悠を見てその口元がふと緩む。今のそれだけは過剰なものではなく、ごく自然な微笑に見えた。

 不本意ながら、自分たちが作ってしまった人だかりから逃れるように学校を離れ、3人で取り留めの無い話を続けながら歩いていると、今度はこちらが人だかりに遭遇したようだ。
 住宅街の一角を封鎖するよう道路にロープが張られ、警察官があちこちにいる。その前に野次馬が何人かいて銘銘立ち話をしていた。
「でね、その高校生の子、ちょうど早退したんですって」
 興奮気味にしゃべる買い物途中らしきの主婦たちの声が聞こえてくる。
「まさか、アンテナに引っかかってるなんて思わないわよねえ」
 あのアンテナよ、と片方の主婦が指差す。
「見たかったわぁ」
「遅いんだから…ついさっき、警察と消防団で下ろしちゃったのよぉ」
「恐いわねえ。こんな近くで」

 死体、だなんて。

「え…今なんて?死体!?」
 里中が単語を聞いた者の気持ちを代弁するかのような驚きのトーンで復唱する。確かに聞こえた、死体、という単語。
 時には人の魂を人間界の外へと導く際、それにお目にかかる機会がある、天使である悠にはそこそこ馴染みがあるが、人にとって、特に紛争地域とはかけ離れているここ日本では、あまり日常会話で出てくるような言葉ではない。それだけにその単語の異様さが際立つ。
 今の主婦たちの断片的な会話をつなぎ合わせると、アンテナに引っ掛かった状態で死体が発見され、今しがた警察と消防団の手によってそれが下ろされた。
 シチュエーションの特異さに、場のイレギュラーによって引き起こされた異常事態なのか、悠の頭にはすぐその考えが浮かんだ。
「おい、ここで何してる」
 聞いたことのある声が、若干鋭さを伴って悠たちの耳に届く。
 刑事である叔父の堂島が上着を片手に封鎖されている住宅地から現れた。警察官が大勢居るこの場所で、刑事である叔父がいてもなんらおかしくはない。
「ただの通りすがりです」
 本当に何も知らず、偶然この道に来ただけなので悠はありのままを伝えた。
「ああ…まあ、そうだろうな。ったく、あの校長…ここは通すなって言っただろうが…」
 悠の澱みのない答弁に嘘をついている様子ではないと堂島は判断したのか、視線も口調も普通に戻った。
「知り合い?」
「コイツの保護者の堂島だ。あー…まあその、仲良くしてやってくれ。とにかく3人とも、ウロウロしてないでさっさと帰れ」
 里中が悠に訊ねると、堂島自身が返答し、ついでに帰宅を促した。そんな4人の横を、顔色をなくした若い男が道路の脇にある排水溝へと走っていく。
「うっ…うええぇぇぇ…」
 排水溝の前でしゃがみ込み、盛大に胃の中のものをリバースしているようだ。死体、を見たからだろうか。里中と天城の二人は複雑そうな表情で顔を見合わせている。
「足立!おめえはいつまで新米気分だ!今すぐ本庁帰るか?あぁ!?」
「す…すいませ…うっぷ」
「たぁく…顔洗ってこい。すぐ地取り出るぞ!」
 吐くだけ吐いて慌てて堂島の後ろを追っていく若い男。チラリと3人の方を見たがそのまま堂島に付いて走っていった。
「さっきの校内放送ってこれの事…?」
「アンテナに引っ掛かってたって…どういう事なんだろう…」
 思い思いのことを口にする里中と天城。やっぱり複雑で不安そうな様子だ。
「ねえ、雪子さ、ジュネスに寄って帰んの、またにしよっか…」
「うん…」
「じゃ、私たちここでね。明日から頑張ろ、お隣さん!」
 去っていく二人の背中を見送っていると、上空に悠しか見えない存在が現れた。クマがここクマーと旋回しながら悠に呼びかけている。小さく悠が頷くと、クマは堂島宅の方向を指差し、飛んでいった。話は一旦家に帰ってから、という解釈でいいだろう。悠は鞄を持ち直し、早足で歩き始めた。


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2013/10/14

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