you're forever to me >> 5-3


 人の心はざっくり大別して表層と深層の二つ。意識と無意識と呼ばれるものだが、諸派によってここから細分化されたり未定義だったりするが説明は他に任せ横に置く。
「明るい色、だな」
 花村の心の入口である表層部分へと侵入を成功させ、最初に抱いた印象。人の心を天使はまず、色で読み取る。色は一見壁に見える、様々な心の境目に表出する。心の境目とは人や物事に対する区切り。時と場合によって心の境目を変えたり必要に応じて作り出したり破棄したりするので不変ではない。
 花村の心の色は赤や橙、黄色といった、明るくてはっきりとした色だった。はっきりし過ぎて少々目が痛い程で、自然物からではなく人工で作られたような、よく言えばポップで活動的かつ友好的、悪く言えば安っぽくて何処にでもある感じがした。
 心の表層を突破し、深層に潜入する。今までの壁の明るさとは一変し、途端に空間は色を無くした。意識がなかなか浮上してこない人に有りがちの色である。ただ花村のそれは普通とは違っていて、その壁をよくよく観察するといろんな色のセロハンが本来の心の色の上へと重ねに重ねられた結果、夜中のような暗くて黒い壁を作り出しているようである。ありとあらゆる、花村を蝕む何かから身を守る為に作られた壁だろうが、それにしては面積が広大過ぎる。これは取り込んだ霧の影響が大きいもので、花村の意識を正常にすることができれば大半は取り除かれるだろう。
「いた」
 悠は心の深層の最深部に辿り着いた。そこに花村の精神体が存在し、無数の霧の形をした悪意から圧迫を受けていた。精神体は花村の姿形をしているが、現実と違う点は全身が淡く発光している。それに向かって――灯りに集る羽虫のように、暗白色の霧が花村を取り囲っている。

 ジュネス店長の息子というだけで、毎日見知らぬ老若男女から謂れの無い誹謗中傷にさらされる。
 ジュネスのせいで、どこそこの店が潰れた。あの一家が夜逃げするはめになった。
 ジュネスができたせいでこの辺り一帯騒がしくなって落ち着かない。
 ジュネスのせいで商店街が閑古鳥が鳴いているっていうのに、関係者が商店街を平気でうろつけるなんてどういう神経してるのかしら。
 ジュネス店長の息子というだけで、アルバイトやパートから好き勝手な要求や苦情をしょっちゅう言われる。
 お前店長の息子だろ、ちょっと融通利かせろよ使えねえな。
 あんた店長の子どもなんだから権限あるんでしょ、無断欠勤した理由くらい気ぃ利かせて適当ゆっといてよ。
 店長の息子だからって、アンタ誰それのことエコヒイキしてんでしょ?マジキモイんだけど?
 お前さあ、笑いながら命令すれば人が言うこと聞くなんて思ってんじゃねーよ。ヘラヘラ笑うだけで楽して生きていけるなんて、マジ吐き気がするわ!

 ジュネスのせいで、お前の一家のせいで、お前のせいで。

 花村に関係のある悪意が無関係の悪意までを巻き込むように呼び続ける今の状態は、間違いなく性質悪く誇張がなされているだろう。しかし現実に花村は酷い仕打ちを受け続けてきた。その苦しみは花村にしか分からない。
 楽しく思える出来事は一切無く、針の筵のような刺々しい刺激を毎日のように浴び続ける花村。言われ無き言葉の暴力から自分を守る為に、最小限の傷に抑える為に、不機嫌には笑顔で返し、無理難題にはなるべく相手の意に沿う努力をし、どうにもならない部分については必要以上に謝罪をしてみせ、理不尽には言い返すことなく同調までしてやり過ごす。
 それでも悪意が容赦なく花村を蝕む。花村は必死に耐えていたが、耐えた分の暴発の勢いは半端ない。

 やめろ、やめてくれ
 俺が何をしたっていうんだ!

 花村の精神体が一瞬だけ強く発光すると、取り囲っていた悪意が一瞬怯み、花村から距離を取る。
 花村は思い出す。自分が元気になれる出来事を。優しい言葉を。
 同じジュネスで働いていた先輩の小西早紀がくれた言葉だ。

 親は親、キミはキミ、でしょ?

 花村にとって、この狭い、悪意しか感じることが出来なかった街にやってきて、初めて出会った唯一無二の希望の言葉。小西が落ち込んでいた花村にこの言葉をくれたから、花村はこの街で暮らすことの苦痛から徐々に解放された。彼女と接することで、やっと明日という日が毎日やって来ることを、楽しみにできるようになったのだ。
 くだらない悪意に負けてたまるかと、花村は自分を痛めつける黒白い塊を睨みつける。
 そんな花村を、悪意たちは嘲笑う。ゲラゲラ下品な音を立て、花村に絶望の光景を見せつけた。

 小西が誰かから怒鳴られている。
 代々続いたコニシ酒店の長女だというのに、ジュネスなんかでアルバイトなんかをしてどういうつもりだ!?お前が近所からどう言われているのか知らない訳じゃないだろ!金か?それとも男か?よりによってあんな店でバイトなんかしやがって!
 男の声は内容を推測するに、小西の保護者のようだった。花村は狼狽した。花村には、小西が楽しそうにジュネスでバイトをしているように見えていたから、家庭でこんな風に誹りを受けているなど思いも寄らなかったのだ。
 花村の目の前に、制服姿の小西が現れる。次に彼女が花村に向かって言い放った言葉は、花村を天から地へと落とすのに十分過ぎる内容だった。

 私、ずっと花ちゃんの事…ウザいと思ってた
 仲良くしてたの、店長の息子だから、都合いいってだけだったのに…
 勘違いして、盛り上がって…ほんと、ウザい…
 ジュネスなんてどうだっていい…
 あんなののせいで潰れそうなウチの店も、怒鳴る親も、好き勝手言う近所の人も…
 全部、無くなればいい…

 花村に救いの言葉をくれた小西早紀の本心は、あまりにも残酷だった。小西の本心だと理解したのは、小西の浮かべている表情だ。今まで花村には向けた事の無い、険しくて心底うんざりしていると言いたげな、嫌そうな顔つき。冗談で邪険そうな表情をされたことはあったが、その時は口元が緩んでいたり、いたずらっぽい目をしていた。だけど今のそれは、そのマイナスの表情からいい方向に動こうとはしなかった。

 私が言いたかったのは、花ちゃんなんかにじゃない
 親は親、私は私…家のことなんかどうでもいいって、自分に言い聞かせたかっただけ

「せん、ぱい…そんな…そんな…!」
 弱々しく零れた花村の声。自分を救ってくれた先輩からの小っ酷い拒絶。たった今、花村は何にすがればいいのか完全に見失った。
「嘘だろ…先輩…嘘だって、言ってくれよお!先輩はそんな人じゃない!簡単に家族のことを切り捨てられるようなことなんて言わない!それにあれは俺に…俺の目を見て言ってくれた…言葉だったじゃんか…!」
 花村は必死に訴えたが、小西は肯定も否定もせず、花村の目の前から消えた。だが小西の表情は、最初から最後までとうとう変わることはなかった。そのことに花村は悲嘆する。悪意たちが一層ゲラゲラと高らかに嗤った。
「嫌だ…もう、嫌だ…なんでこんな目に遭わなきゃならねんだよ…俺が何したっていうんだよ…散々耐えてきて、これ以上どうしろっていうんだよ!」
 胸を切り裂いてみせても誰もわかってくれない真っ暗な孤独。花村の口から出た悲憤の絶叫が何度も暗い空間に木霊する。
 その絶叫を糧にするかのようにますます肥大していく暗白色の霧。悲しみに飲まれて何も出来ない花村の精神体が徐々にその中に埋もれていった。


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2013/12/21

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