you're forever to me >> 5-4


 一部始終を見取った悠が動いたのは、その時だった。
「花村!」
 花村の精神体にまとわりつく霧を蹴散らし、腕を掴む。花村はこれ以上ないぐらい驚いた表情で悠を見た。
「鳴上…?お前、なんでここに…どうしてっ!……見た、のか…今の」
 この無様で、滑稽過ぎる、どうしようもないまでの情けない俺を、俺の中身を。全てを!
 悠を責めるような視線が花村から飛ばされる。ずっと覆い隠してきて、決して誰にも見られたくはなかった自分の悩みと、それに耐え切れなかった弱さと、ついでに最悪の恋の結末と。
「クッソ…なんで…なんでだ!チクショー…こんな、はずじゃ…」
 花村が弱みを見せる時はある程度計算ずくで、自分で修正が効く範囲でしか表に出さない。いつもそうしてきた。だけど悪意の集合体である霧の揺さぶりによっていとも簡単に内面を暴かれ、心を乱された。そしてそれを事もあろうに知り合ったばかりの転校生に見られてしまった。なんで転校生がここにいるのかわからないが、今はそんなことはどうでもいい。見られた事こそが重大で、花村にとってはどうしようもない恥曝しに他なかった。そんな花村の気持ちを知ってか知らずか、悠は臆することなく花村と目を合わせ、労りの気持ちを込め包み込むように言った。
「花村、よく頑張ったな」
 目の前の転校生にフワリと微笑まれ、もう片方の手でポンポンと肩を叩かれると、何故か今まで圧迫されて苦しかった花村の心が急に軽くなったような気がした。四方の壁から光が満ちてくる。貼り付けられていたセロハンがそこかしこから剥がれつつある。
「もう大丈夫だな。仕上げは任せろ」
 いつの間にか悠が蹴散らしたはずの霧が二人を取り巻いていた。しかし壁から光が差し込んできたおかげなのか、段々霧の塊が小さくなってきているようだ。
 悠は花村の腕から手を離して霧をギラリと睨みつけると、自らの身体を発光させた。先ほど花村が行った発光とは比べ物にならない比の圧倒的な強さのその光が暗白色の霧を次々と射抜き、消滅させていく。人の意識を正常に戻す為には入り込んだ霧を消滅させる必要がある。悠が仕上げに行ったのはそれだった。
 霧の消滅とほぼ同時、壁を覆っていた闇色セロハンの大半が剥がれ落ちて、色が現れた。
「…まぶしいな」
 眩しさで視界を不明瞭にされたことへの文句ではなく、悠は愛しむ口調で呟いた。その色に近しいのは、現実世界でもここ暫く雨模様のせいでご無沙汰している存在。神としばしば同一視されるこの存在に、悠は長らく憧憬の念を抱いている。
 目が新たな色彩に慣れるまでの間、悠が持った花村の深層部分の第一印象。
 生命の活力の源である、太陽のような色、だった。

 霧から、数多の悪意から解放された花村は気の抜けた表情を浮かべていた。放心状態なのだろう。現実で受けていた悪意と、今この一時で受けた悪意は質も量も違う。わざとらしくて下品に誇張されていたが逃げ道を塞がれ、それ故にずっと受け続ければ精神が崩壊してしまっただろう。それらが一気に消えてしまい、呆気に取られているといったところか。
「なんで…いきなりこんな…」
 悠は待った。花村が気持ちを整理し、自分の身に降りかかった悪意について語り出すのを。自ら立ち上がって向き合おうとするのを。
 体内から霧を追い出した時点で意識そのものは浮上させることができるようになる。しかし霧につけいられた弱みを整理することなく目覚めを迎えてしまうと、天使の手が入ったせいで肉体的に目覚めたに過ぎず、心の成長ができずに終わる為に自己解決能力が低下して、再度何らかの形で自分に対する悪意と遭遇すると正しく対処できずにより深く心に傷を負う。最悪その状態で霧が再び取り込まれれば、精神が悪意からの攻撃に耐え切れなくなって死んでしまうだろう。
 自分で決着をつけることによって、心の成長を促し目覚めのきっかけを得ること。天使の中にも時折、霧を追い払った段階で任務が終了したと勝手解釈して、すぐに人を目覚めさせるいい加減な者もいるが、悠には有り得ない措置である。
 花村が己を見つめ直すこと。花村にとってそれが今一番、何よりも大切なことで将来の花村につながる。その手伝いをする為に自分は神から遣わされている――普段の悠ならこう思うだろうが、実際に悠が今思ったのは、花村の手伝いができるのは自分にとっても喜ばしいことである、だった。
 そばに立つ悠の顔まではさすがに見れないのか、花村は俯きがちに、ポツリポツリと心境を語り出した。
「所詮赤の他人の言うことなんて、一時のもんだってわかってるつもりだったし…ずっと見ないふりして、この街出てくまで適当やり過ごそうって思ってたのに…甘かったんかな、俺」
 花村は堰を切ったように胸の内の吐露を続ける。
「どっかで予感みたいなのはあったんだ…小西先輩が、俺のことウザいって本気で思ってんじゃないかって。でもああ見えて何でもズパっとものを言うようだけど、何を言えば人が傷つくかってことはわかってた人だったから…だから、俺の事も無視しないで適当に相手してくれてたんだ。ハハ、街の人間に対する俺の態度と同じだったってわけだ。今更んなって、小西先輩のことがよく分かってきた気がするよ。先輩も、しんどかったんだな、色々と」
 今頃分かっても遅いよな、と花村は後悔と寂しさを滲ませた笑みを浮かべた。やっとわかったのにもう先輩はいない、おまけに盛大にふられたときた。気持ちの持って行き場がないことこの上ない。痛切な花村の感情が悠に伝わってくる。
「でもある意味…はっきりバッサリ切ってくれて…よかったかも。もしこれで俺のことちょっとでも気になってた、なんて言われたりしたら、先輩が死んだことショック過ぎて…俺明日からまともに生きてく自信ないわ。ま、そんな可能性は万に一つも無かったわけだけど。ふってくれたことすら先輩なりの優しさだったのかも…ってさすがにそりゃ美化し過ぎか。ハハ」
 深層で語る言葉は全て真実だから、今の花村の言葉には一切の誤魔化しはない。自分を傷つけた人なのに、花村はそれすらも良く解釈をしようとする。花村の心は元から十分強いのだ。こんなことが無ければ他人に弱みや本音を見せるような人ではないのだろう。
 全ての本音を出し切って、花村は悠の方を見た。
「ずっと…誰でもいいから…たった一人だけでもいいから…俺がしんどかったことを知って欲しかった。褒められたいとは全然思ってなかったけど…でも、お前が“よく頑張ったな”って言ってくれたのが…俺、想像以上に嬉しかったみたいだ」
 花村は真っ直ぐに悠の目を見る。自分の心の目撃者は清廉で曇りのない目をしていて、悪意に飲み込まれようとしていた自分を助け、今ひたむきに自分の心の声に耳を傾けてくれる。抱えていた苦しさが霧散していく。
「お前が、助けてくれたんだよな。いや、聞くまでもないな。独りでもがき足掻いてたんだ…どうすることもできなかった。俺は…なんにもできなかった」
「それは違う」
 ずっと花村の本音を聞いていた悠がようやく口を挟んだ。花村の言葉の否定をする為ではなく、真意を伝える為だ。
「花村が、辛くても本音を吐き出したからだ。俺はそれをただ待っていた。結果入り込んだ霧の全てがお前の方へ引き寄せられた。それを追い払っただけ。俺は何もしていないよ」
 取り込んでしまった全ての霧をおびき寄せ完全に駆逐するには、本人が本音を言う必要がある。それが撒き餌となり、心の中に散らばっていた霧が一箇所に集中し、そこを天使が叩く。部分的な浄化でも正常な意識は取り戻せるが、やはり後に心が不安定になり易くなるので、できるならば完全に浄化しておくことが望ましい。それでこそ神の望む天使の姿勢といえる。
 悠にしてみれば当然の対処をしただけだが、花村にとっては身を挺して自分を救ってくれた恩人であることには変わりない。心を込めて花村は悠に感謝の言葉を伝えた。
「いいや、お前がいなけりゃ…お前が来てくんなきゃ、今俺はここには立ってない。そんくらいはわかる。ありがとな。ってーか、色々聞きたいんだけど。なんでここにお前がいるのだとか」
 しかし悠は首を振った。色々話したいのは山々だがあくまでもここは花村の無意識下だ。あまり長居し過ぎてあれこれ吹き込むのはよろしくない。悠にその意図は無くともマインドコントロールを行ってしまうかもしれないからである。
「目覚めれば、大半のことは覚えてはいないはずだ。全部、お前の無意識の内での話。だから、気にすることはない。待ってるからちゃんと目覚めろよ」
 伝えて、悠は花村の精神体から離れ、表層へと向かう。花村は一瞬名残惜しそうな表情になったが、笑顔を浮かべて悠に手を振って見送った。
 花村はちゃんと強固な精神力を獲得した。この先どんな悪意を向けられても、少々のことではへこたれないだろう。自分の失態が発端だったとはいえ、花村の抱えていた辛い内面を少しでも軽くする手伝いが出来たことを、悠は心から嬉しく思った。
 本来の花村の深層はあたたかな色彩で満ち溢れていた。表層の色とベースは同じなのに、どれもが自然に見られる色でとても目に優しい。所々まだ幾重にも重ねたセロハンの断片が残っていて、本来の色からかけ離れているそれらが目立ってしまっているが、それらは元からあった花村の心の境目の一部なのだろう。
 壁に近づいて剥がれかけた一片を手に取る。異なった色のセロハンが重なって闇色を作っていたが、一枚一枚を見ていくと淡くて脆くて儚げに煌いていて、悠の手の中で形を崩して欠片となり零れて宙を舞った。辛うじて桜の花びら程の大きさの橙色の一片だけが掌に残る。握ってみると仄かに温かかった。
 暗さを演出していたものですらひとつひとつが美しい。ただ本来の色が良過ぎるおかげでそれらが余計にみすぼらしく見える。それら含めての花村の心ではあるが、だけどもっと綺麗に剥がしてみたいなと、今まで思ったことがない願望が悠の心に浮かんだ。

「センセーイ…早く…早く戻ってきて…」
 クマが情けない声色で懇願した時だった。悠が目覚めた。花村の胸の上に預けていた上半身をゆっくりと起こす。
「セ、センセイ!だいじょぶか!?」
 クマが半べそ状態で悠にすがる。そのおかげで悠は覚醒直後のぼーっとした感覚が一気に吹き飛んだ。
「ああ、大丈夫だ。花村も、今度こそ大丈夫、だろう」
「よかったクマー!オヨヨヨヨ」
 遂には泣き出すクマを宥め、悠は注意深く花村の様子を窺った。呼吸が浅くなってきている。目覚めは間もなくだろう。ポケットから例のボタンを取り出して眺める。どこにいても人間界に戻って来れるというおかえりボタンなるもの。できれば人には見えない天使の姿で戻りたかったが、花村の精神世界で力を行使し疲労が更に進んでいる。どちらにしても花村と一緒に戻らなければいけない状況であるし、自分たちの身だけが隠れてもあまり意味の無い話だ。
「一か八か、か」
 人目のつく場所へ転移されれば騒動は避けられない。だが天界も何も考えなしにこんなものを渡しはしないだろう。人に姿を見せてはならないとお達しを出しているのは他ならぬ天界であるのだから。その点だけに悠は賭けた。
「押すぞ」
 意を決して、悠はボタンに手をかけた。

 視界が歪み、真っ暗になったその次に現れた光景は――ジュネスの家電売り場だった。入ったテレビの丁度前に、クマと横になった状態の花村と共にいた。辺りに人気は、相変わらず無いようだ。とりあえずその事に悠はほっとした。クマに実体化をやめるように指示する。
 程なく、花村から呻き声がした。目をうっすら開けて顔をしかめ、幾度となく瞬きをする。
「あ、あれ…俺、なんでこんなとこに…え、鳴上…?」
 何故自分はここに寝ていて、そばに悠がいるのか。わけがわからない、といった表情を浮かべる花村に対して、悠は予め考えておいた方便を告げる。
「その、ここで俺とぶつかって、脳震盪を起こしていたみたい。慌てて救急車呼ぶのもどうかと思ったから…暫く様子みてたんだ」
「そう…なのか?あー…なんか記憶が飛んでら…」
 花村はガシガシ頭をかいて記憶を辿ろうとしているようだが、目覚めた直後で上手く頭が回転しないようだ。またすぐに嘘がばれたらどうしようと思っていた悠だったが、さすがに今回は大丈夫のようである。というのも身体の修復を行った時、記憶の方も巻き戻った為である。悠が戻した時間はテレビの中に落ちる直前の状態、もっと正確に言えば関係者以外入れない扉から出てきた時を基準としたので、クマの姿やテレビに飲まれている自分たちの記憶も残っていない可能性の方が高いのである。絶対とは言い切れないが。
「あ、とにかく、ありがとうな。えっと、色々と」
「え?」
 花村からの感謝の言葉の最後に付け足された言葉に悠は疑問符を飛ばす。
「いや、その…ここで俺を介抱してくれたみたいだし、なんか…すっげ長い夢を見てた気がして…その中にお前が出てきて色々親切にしてくれてたみたいな…あー、なんかわかんね。ゴメン、わけわかんねえこといって」
「…そうなのか」
 無意識下での出来事ははっきりと記憶に残ることは無い。しかし花村のようにこうして“何か”が心の底からわいてきてじんわりと留まる事はある。今まで人の精神世界に侵入して、そこで人から礼を言われたことはあったが、解決したその後は特に人の前に姿を現す機会が無かったのでそれきりだった。記憶に残ることの無い精神世界での出来事を思い出し、感謝を伝えてくる人の心は、悠が思っていた以上に奥深いものなのかもしれない。
 悠は寝ていた花村の手を引っ張って立ち上がらせる。丁度夕方のタイムセールを知らせるアナウンスが入った。
「げ、もうこんな時間かよ!やっべさすがにどやされる!ゴメン、俺行くわ。じゃあな!」
 花村は慌ててその場を後にした。その姿を見送り、クマに目配せをして悠もジュネスを出ることにした。

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 力を行使して以降ずっと身体が熱い。疲労感も半端ない。それはクマも同様だったので今日の総括は明日に回し、クマを早々に中継地点へ帰した。
 悠自身も疲れを取る為今日は早々に休むことにした。その前に入浴する為に風呂場へ向かう。本当に色々あった一日だった。脱衣場で着ている服を脱いで洗濯機へ放り込む。
 下着まで脱いで全裸になり、物干し場にかかっているタオルを手に風呂場へ入ろうと歩を進めると、身体の一部分から違和感が伝わった。はたと、下腹部へ目をやると、いつもは重力に従って垂れ下がっている己の排泄器官が微妙に持ち上がり、中空を指している。
「え…なに、なんで?」
 今まで無かった身体の異変。天使にとって、性器と呼ぶものは単に男性型であるか女性型であるかを区別する基準のひとつでしかない。人間界で活動する時の為に人の構造に似せられ、排泄器官としての役割を果たすがそれ以外の用途については聞かされていないし、今までも性器が持ち上がったことなんて一度も無い。尿意か、とも思ったが、多少溜まってそうな気もするけれど、別に今すぐトイレに走りたい程の尿意はない。
 人は子孫を増やす為の手段として性器を使い性行為を行うが、何もそればかりの為ではない。肉体の快楽と活力を追う事もまた本質。天使は根本的に違う。生命の樹よりもずっと深い位置にある、創生の樹というものから神の計画の下、天使が創られる。
 天使同士が結ばれて子を成すということは原則的に有り得ない。天界に住まう限りは生殖活動そのものが生命の樹によってコントロールされているからである。唯一例外となる時が、生命の樹から遠く離れ、人に近い姿で活動する、今の悠の境遇に該当する。よって、人間界で長期の活動を許される天使は簡単に性的な誘惑に揺るがない意志の持ち主が選ばれる。
 一般天使に知らされない、神に遣える天界の住人の禁忌事項。天使の堕落と怠惰を防ぐ為である。そういうわけなので、単に排泄器官としか思っていなかった性器がこのような動きをするのを目の当たりにして、悠は戸惑っているのである。身体全体がぼんやりと熱いがその一部分は他よりも若干熱が高いような気もする。いやそもそも何故身体が熱いのかを考えるがわからない。いつから熱のようなものを感じ始めたのかを思い出すと、花村の精神世界から離脱したぐらいからだろうか。離脱した直後は疲労感の方が大きかったが、ジュネスから出た時にはもう、疲労感に熱っぽさがプラスされていた。
 原因がわからない。わからないがとりあえずこのままここで、自分の下半身を眺めていてもどうしようもないので暫く様子を見てみることにした。
 身体を洗い、湯船に浸かると緊張感から解放されリラックスできる。やはりお湯は気持ちいい。無心になれるのもいいし、反対に独りで考え事をするにはもってこいだ。悠にとって何にも縛られない時間があるとすれば今のこの時なのかもしれない。
 浴槽から出て下腹部を見ると、もう排泄器官は元ある位置に戻っていた。なるほど暫くすると治まるのだな、と悠は学習し、今後このようなことになったら放置することに決定した。
 治まりがつかなくなる場合があることを、今の悠はまだ知らない。


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2013/12/28

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