you're forever to me >> 6-3


 悠は朝目覚めて、おかえりボタンの復帰状況を確認したが、ようやく赤色を脱して紫色に到達した程度だった。後半日経過させたとしても青に近い紫ぐらいにしかならないだろう。この調子だと元の群青色になるには早くても明後日までかかりそうだ。今日使用するのはとても無理な話である。現在テレビの中に人がいるかいないかを確認するだけではなく、テレビの中そのものをもっと調べたいと思っている悠としては、一日ゆっくり使える学校の授業の無い休日に待ちぼうけを食うのは歯がゆいことだった。
 身支度を済ませ朝食を取る為に自分の部屋から一階に移動すると、菜々子はすでに着替えまで済ませてテレビを見ていた。
「あ、おはよ」
「おはよう。叔父さんは?」
「もう出た。かえり、おそいって」
「そう」
 菜々子と適当に会話しながら悠はトースターにパンをセットし、フライパンをコンロの上において温め始めた。休日は各々好きなように食事を取るようにと堂島から言われたが、悠にも菜々子にも自分のペースで休日を過ごせるように、との堂島なりの配慮なのだろう。
 悠はまだ料理と呼べる程のものを作ることができないので、今日の朝食も無難にここ数日菜々子が作ってくれているのを横で見ていた目玉焼きにすることにした。油を引きフライパンが温まったなと思ったところで卵を割る。調理訓練でチャーハンを作った時に卵を割ったことはあったので、その辺は特段躊躇することはなかった。が、それが裏目に出た。
「っ!」
 身長の低い菜々子は自然とフライパンから離れていない位置で卵を割っていたが、その辺りのことを悠は深く考えずに、フライパンよりかなり上の方で卵を割ってしまった結果、落下の勢いで黄身が崩れて白身へ流出する。
「…」
 思わず無言でその様子を眺める悠。黄身がでろりと面積を広げ、その時点で最早目玉焼きとは呼べなくなった代物だったがどうすることもできず、かといって作り直せば卵を余分に一つ消費してしまうことになるし、作りかけているものを処分するのはもっと忍びない。呆然としている間にも卵はどんどん固まり、焦げ始める。慌てて火を止めて、塩コショウをふって皿へと移動させる。
 こうして悠作の、黄身が流れ出した固焼きの目玉焼きもどきが完成した。とてもではないが見た目がきれいとは言えない。卵の割り方一つでこうも違う結果になるとは、料理恐るべし…とは悠の心の談話。黄身が固まり、白身に焦げが多くて、いつも菜々子が作ってくれるものより焦げが口に残りはしたが、味はまあ普通だった。
「出かけるの?」
 朝食を済ませ後片付けを終わらせた頃を見計らって、菜々子が悠に訊ねてきた。悠の、すでに部屋着ではない格好を見て菜々子はそう思ったのだろう。
 天使の姿で活動する為、自分の部屋から出て行こうとしていた悠だったが、万が一菜々子が自分に用事が出来て呼ばれたり部屋に入ってきたりして、その時に自分が不在であることがわかったら不自然に思われるかもしれない。少し考えて普通に玄関から出た方がいいと判断した。ただそうすると、堂島が仕事へ行ってしまった現状、自分が出かけてしまうと菜々子が家に一人きりになってしまう。
「るすばん、できるから」
 無返答の悠を察してか、菜々子がなんてことない風に答える。テレビから天気予報が流れると菜々子はそちらを向いた。暫くぐずついた天候が続いた稲羽市だったが今日は一日晴れるらしい。
「晴れだって、せんたくもの、ほそうっと。……行かないの?」
 菜々子に促され、悠は今度こそ出かけることにした。

 悠は玄関から外に出て、家の塀を後ろ背に実体化を止め天使の姿に戻る。白い翼を出して飛翔し、屋根の上で待つクマと合流した。
「おっはよークマ!あれれセンセイ、今下から来たの?」
「おはよう。ああ、菜々子に外出するって言った手前、部屋から出て行くのはおかしいと思ってな」
「さよですかー。んで、今日はアマギユキコちゃんのおうちへ行くのね?」
「そうだ。もう日が昇って結構経つし、旅館だから建物への出入りはある程度自由にできるだろう。行くぞ」
「了解クマ!」
 二人は天城屋旅館に向けて飛行を開始した。今日は本当に天気がいい。空中散策には持ってこいの日だ。空中でなくとも、散歩でもサイクリングでも気持ちよく楽しめるだろう。ただ天使の姿に戻ってしまうと人間界の気候そのものを感じ取ることには少々鈍感になってしまう。日本は比較的温和な気候帯に属しているが、国によっては過酷な環境の場合もある。活動に支障が出ぬよう、天使の身体はどんな気候帯でもほぼ一定の温度にしか感じないようになっているのである。天使自身にも見えないベールで保護されていると解釈していい。
「あそこだな」
 飛行すること暫く、目的地である天城屋旅館が見えてきた。歴史を感じさせる立派な旅館である。玄関口から少し離れたところで二人は降り立ち、翼を消失させる。
 多くはないものの人の出入りが見受けられるが、どうも旅館の客ではなさそうである。玄関前まで行くとその正体がわかった。警察関係の人員だ。山野アナ関連の調査が続いているのだろうが、それにしては物々しいような気もする。ここが山野の遺体発見現場ではないし、山野がここにいたとされるのは1週間近くも前の話だ。
 悠とクマは旅館内に入った。宿泊受付に続き、広々としたロビーにはソファが品良く並べられている。大きなテレビが1台置かれていた。悠はロビーの端の方にいる警察官と旅館の従業員に目を留め、その会話に聞き耳を立てた。
「――では、雪子さんは、本当に昨日の夕方から?」
「はい。私が調理場から出て雪ちゃんを呼びに行ったのですけど、見つからなくて。団体さんの宴会が一段落して、従業員総出で捜しても…」
「なるほど、旅館の外は?」
「この近辺は一通り。携帯電話にも何回もかけていますが梨の礫です」
「最後に見かけたのは?」
「夕食の配膳準備を始めた頃だったと思います。16時半前でしたかしら。調理場と大宴会場を何度か往復している姿は見かけていたんですが…途中であんまりにも戻ってくるのが遅いと思って、それで調理場から離れて呼びに…」
 警察官による旅館の従業員への聞き込みは続いていたが、ふと悠の耳に丁度聞き込みをしている警察官とは対角線上にいる警察官二人の会話が聞こえてきた。
「それにしても山野アナがあんなに気のきつい人だったとはな。そりゃあれだけいびられりゃ女将さんも精神的に参るはずだ」
「テレビに出る人間なんて、大抵気が強くなけりゃやってけないだろう。まあ、人前出る時は猫被ってたんだろう、それこそ何重にも」
「当事者でないこっちまで女将さんに同情せざるを得ないんだから、旅館の人間なら尚更腸煮えくりかえっただろうな」
「その傍に娘さんもいたって話だ。高校生だろ、あんな酷い暴言浴びせる客に当たったら逃げたくもなるだろうよ」
「単なる家出ならいいが…まさか山野アナに対して何かしでかして、それでどっかに隠れてるとかじゃないだろうな」
「動機はともかく、物証はおろか状況証拠もないのに適当な事言うもんじゃない」
「わかってるって。でも動機だけはこの旅館の従業員全員にあることにはなるな」
 天城の所在が不明で、天城を含めた旅館の関係者が疑われ始めている。とはいえ、遺体発見現場以外の何もかもが不明の今、大半の関係者はすぐ容疑から外れるだろう。なかなか捜査が進まない現状、警察側もどんな些細な手がかりでも欲しい気持ちが先行しても仕方がない。しかし知り合ったばかりのクラスメイトが異様な事件の容疑者にされるのは気分のいいものではなかった。
「むむむ…このテレビ…臭うクマ」
 いつの間にか悠の傍を離れていたクマが、ロビーにある大きなテレビに近づき熱心に鼻をヒクヒク動かしている。悠もテレビの所まで行き、観察する。ジュネスで悠たちが入り込んだテレビよりは少し小さいが、クマでも頑張れば入れそうなぐらいの大きさだ。
「え、マヨナカテレビが映ってないのに何か臭うのか?」
「画面の中からじゃないクマ。かすかーにだけど、このテレビの前にあの最初の残りカスと同じ臭いがするクマ」
「なんだって?確かなのか?」
「臭いは嘘つかんクマ、クマはもっと嘘つかない」
「疑ってるわけじゃない。あの断片がここにあるってことなのか」
 クマが最初にアンテナのあった屋根の上で嗅ぎ取った場のイレギュラーの残りカスと、このテレビの前で嗅ぎ取った臭いが同じだということは、ここにもその断片があると思った悠だったが、クマは意外な証言をした。
「違うクマ。場のイレギュラーっちゅーよりは、前段階の霧の臭いって言った方がいいかも」
「ひょっとして、大元…ということか?」
「んで、その霧の臭いがここから画面に続いてる」
 霧即ち人の負の感情。テレビの前で人から霧が発生し、それが画面に続いているということは、今の悠が考えられる事は一つ―― 霧を纏わせた人が、このテレビ画面からテレビの中へ侵入したかもしれない可能性だった。そしてテレビの中の霧と結合し、強烈な場のイレギュラーと化した。あくまでも仮定、ではある。
「そこまで嗅ぎ分けられるのか」
「クマの鼻なめたらいかんぜよー!でもでも、ホントにうーっすらだから、間違っていても怒らんでクマ」
「それでいい。気になった事は何でも口にしてくれ」
 ひょっとしたら山野はこのテレビからテレビの中へと侵入したかもしれない。調べる価値はある。全て推測の域に過ぎないが、それでも何も手がかりを得られないよりは随分な進歩だ。
「とりあえず、今日はこんなところだな。引き上げるか」
「え、もういいの?」
「報告書に色々付け足さないといけない事が出てきた」
「センセイお疲れクマ」
 引き上げる前に、天使の姿のまま進入できるルートがあるかどうかざっと旅館内を見回り、すると見事な中庭があり、いつでも開放されている状態なので上空から降りてくれば容易に旅館内に入れることが判明した。無論テレビの置いてあるロビーへも自由に行ける。
 天城の事は気になるが、まだ行方不明と決まったわけではない。もし行方不明が濃厚になれば、堂島の口からも何か聞けるだろう。警察官たちが話していたように単なる家出かもしれない。
 悠自身がそう思うのは、鮫川の土手上の東屋で話した天城の様子が本当に――どこかへ行ってしまいたいと、自ら望んでいたような、視線の彷徨わせ方をしていたからだった。


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2014/01/15

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