世界から二人が欠落し続ける為に


「お前さんの目は、このまま一生俺の方を向け続けられるかい?」

夜明け前、そろそろ気温が上がり始めそうな熱気を受け取って目を覚ましたジョニーは、同じ感覚でもって覚醒したウッドロウに問いかけた。ウッドロウの目覚めはほとんどジョニーの身動ぎによって誘われたものであるが。
まだ隣にいるジョニーの顔さえ上手く捉えられないというのに、そんな質問が頭上から降ってきて数秒後には彼が何を言ったのかさえ忘れてしまった。
隣、いやジョニーの顔は横には無い。いつの間にかウッドロウの身体を跨ぐよう両腕を突っ張り、見下ろしている。
「何を、今。」
ぼやけた思考中、そう聞き返すのが精一杯だったウッドロウに、もう一度ジョニーは同じ言葉を唱える。
「お前さんの目は、このまま一生…一生、俺の方を向け続けられるかい?」
「どうして…今、そんなことを。」
少しずつ回転を始める脳が、ジョニーの質問の真意が何であるかを探り始める。薄い暗闇の中、無表情なジョニーからは何もわからない。
「思考が愚鈍になってる今ならお前さんの本音が聞けるかもしれないからだ。だが、まどろみに引き摺られながら曖昧にぼかして欲しいとも思っている。」
「意味がわからない。」
「深く考えるな。目の前の、この俺の顔を……いや、やっぱりこの質問はやめだ。」
頭をブンブン振ってジョニーは言葉を止める。ジョニーの突然の行動が理解できなくて呆然と見つめることしかできなかったウッドロウはやはりジョニーの質問を飲み込むことができなかったが、目の前でさらさらと揺れた彼の髪がとてもきれいだとぼんやりと思った。夜明け前の今、どれが何色なんて本当はわからないのにそれでもきれいだと思ったのはそれがジョニーだから。
「俺が、本当に聞きたいのは。」
ぎゅっと目を瞑ってジョニーはしばし呼吸を止める。次に息を吐き出した時、こんな問いかけを伴った。
「お前の未来は、どこにあるべきだと思う?お前自身何をしたいと、願いたい?」
開いた瞳の緑が、一瞬揺らめいた。他の人間なら絶対にわからぬような微細な彼の感情の変化。この人は私を試しているのか、それとも――
「私の、何があなたを不安にさせた?」
息を呑む目の前の彼。そんな反応を見て、ああどうやら合格点以上の図星をさしたようだとウッドロウは解釈する。

「俺を通り過ごして、はるか遠くを見ている目だ。」

続けて、「そんなことはないとは言わせない。ここ暫く、観察させてもらったからな。」と目を逸らさず告げた口元が苦々しく歪んでいる。どんな答えでも耐えてみせる、といったように。
この曖昧に続いている生活を半分自失の状態でやり過ごしている自分のことを見透かされている、とは少し前から思っていた。が、こんなに早く問われる日が来るとは思わなかった。気づかぬふりを続けるだろうと思ったから。互いに身分を放棄した時から身の内でそれまでの人生を振り返ることはあっても、それを口に出すことは決して無く、せいぜい世間話以下の扱いだった。本気で国の将来のあれこれを語り合えば、呆気なくこの生活が崩壊してしまうような気がしたからだ。
だが、酒の入った夜ならともかく、一日が始まろうとする夜明け前にこんな話を切り出すのだから、たとえどんな答えを寄越しても、無かったことにするつもりは無いのだろう。
「戻りたいか。ファンダリアへ。王の地位へ。」
口元こそ微妙に歪めているが、責めている口調ではない。ただ選択することを明確に促している。
こんな思考のはっきりしない時になんて酷い質問をするのだと冷静に心の内でジョニーのことを非難したが、不意打ちされて反対に頭がみるみるうちに冴え渡っていく。
「そう言えば、どうしてくれると?」
抑揚の無い声で告げれば、少しの間をおいて開き直ったかのごとく、明るい声で笑みさえ浮かべて応答した。
「俺はお前の手を取り導こう。お前が無事元の生活に帰り着くことができるまで。」
ああ私を思いやるあまり、あなたはいとも簡単に残酷な提言をする、とウッドロウはため息をつきたくなるのをこらえる。
「でも私からその手が離れたその瞬間、あなたは国王拉致監禁容疑で逮捕、第一級犯罪者として裁かれて、最悪数日後には人々の罵声を浴びながら公開処刑される運命を辿るだろう。」
「その通りだな。」
「私が、そんなことを望むとでも?」
「元より、お前の心が俺から離れた時点で、俺はこの世界に未練なんてありゃしないさ。ま・・・天秤にかけたものが悪過ぎたかね。俺と、祖国ファンダリアじゃあな。」
「あなたはわかっていない。」
ウッドロウの声のトーンが上がる。ジョニーはウッドロウをジョニーの為の犠牲者のように扱っているきらいがあるが、そうされるのはウッドロウにとって甚だ遺憾にたえない。
「アクアヴェイルから見れば私だってあなたを誘惑した大罪人だ。確かに…私だけ、あなたに守られた生活だけをこのまま送り続けていいのか。いや、私の与えられた身分上決して許されることでは、ない。」
ファンダリア国の王子として生まれ、人々を導くことを義務付けられた運命にあった。決して寂しい環境で育ったわけでは無かったが、母の温もりは知らず、忙しい父王と触れ合う機会も多くなかった。次代の王として厳しく育てられ、文武に明け暮れる日々を送っていたから長らく孤独の概念を知る暇もなかった。
そんなウッドロウを孤独だと指摘したのがジョニーだった。
旅の途中で二人部屋の同室になったある日、相手のことを知るには恋バナをかますのが手っ取り早いと話をふっかけたジョニーは、ウッドロウの恋愛観に驚愕する。いやむしろ恋愛観にもなっていない内容だったのだ。即ち、重鎮たちが薦めるであろう相応の貴婦人から国と国民のことを第一に考えられる、機転のよい女性を選ぶつもりであるとサラリと告げたのである。無論ジョニーが聞きたかったのは未来の后像ではなくて、今現在の興味の対象だとか今までにどんな恋愛をしてきただとか、よもやま話的なことである。ところがそう言ったことをジョニーが聞き返すとウッドロウは不思議そうな顔をしてもう一度同じことを説明するばかりで、終いにはそれが義務なのだからそれ以外のことは考えても意味の無いことだと平然とした顔で言い切った。抑揚をつけて話すのならともかく、流して聞くにはあまりにも機械的過ぎたのだ。
義務という鎖に縛られて一生決まったレールを走り続けていく、このままではあまりにも不憫だ――最初これは自分の役目ではないとは思ったものの、自分以外の誰も、ウッドロウが孤独の壁に囲われていることに気付かないだろうと思い――単なる友情から親愛に変わり、恋着の仲に至るまでそんなに長くはかからなかった。最後まで踏み込むつもりはなかったはずなのだが、ジョニーにとってもいつしかウッドロウが手放し難い存在になってしまったのである。
「国を選んだ方が、ある意味楽だったと思う。あなたがいなくなったとしても、時間が解決してくれることだってわかっている。だけど、そうしなかったのは…その瞬間から私は死ぬまで私を喪失し、国の為に働くただの機械になってしまう。そうなるのは嫌だった。私は、あなたのそばにいたいと願う人間でありたい。あなたに出会わなければ、あなたに教えられなければ、きっとこんなことは考えもしなかった。」
自由奔放で気侭なこの人は雁字搦めの自分に新たな道を与えた。必ずしも正しい道とは言い切れないことは承知しているが、「己」を失わずに済んだことは間違いない。もう後数年年をとっていれば、真っ直ぐで安易な(とはいえ重圧は計り知れないが)レールの上を走ることを選んでいただろうが、若さから来る熱情は悪路に挑むことを躊躇わなかった。彼の横に立ち続けることの方がはるかに難しくて魅力的に映ったのである。
その悪路を選択する事の重大さはウッドロウ自身が一番良く理解していて、後世最も愚かな王として語られることも承知だ。それ以上に、初めて手に入れた宝物を簡単に手放す弱さより守り続ける強さが欲しいと希求した。そう思った瞬間から、そのことを教えてくれた人を手放す選択肢は、削除した。
「ファンダリアとあなたを比べろと言うなら、あなたがファンダリアを超えるという風には考えたことがない。どちらも同じくらい大事で、決められない。だけど同等なら、あなたを取る。ファンダリアにとって私の代わりは若干名ながらいる。私にとってあなたの代わりは、何処にも存在しない。」
目の前の白い頬を濃い両手で包み込むと、また緑が揺れた。最早身体の震えを隠せなくなっているこの人が愛しくてたまらない。きっと相当の覚悟で切り出したのだろう。この人が私を手放さなかったのに、私の為に己の感情を殺すことを厭わないというのに、私がこの人の気持ちを一顧だにせず捨てようなどと…一瞬でも頭によぎったその考えごと、私はこの人に断罪されたい。
「あなたは数多いる人の中から色々と面倒臭い私を選んでくれた。私は私でいられる今が嬉しい。ここまできたらずっと貫きたい。それが、私の覚悟だ。あなたと一生を添い遂げたいと願う――」

お願いだから、生き急がないで。私のことを考えるなら私のことをずっと離さないで。
起き上がってジョニーの背中に手を回して抱きしめると、ウッドロウの肩口に顔を埋めたジョニーの瞳から一つ涙が流れ、その雫がウッドロウの背中を伝っていく。
ウッドロウはジョニーの感情の結晶であるその感触を死しても絶対に忘れまいと誓い、永遠の恋人に口付けを贈った。


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欠如する 】 【 欠如した後の 】 【 小説置き場へ 】

memoに綴った一発書きを増量しました。途中で何を書きたくなったのかわからなくなった。
放浪中に遊んでいる可能性もありますが、基本リメD陛下は真面目そうで恋愛には疎そうに見えましたので。

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