誤魔化されてはくれない


やばいな、と思った時には遅かった。
身体がだるいと自覚したのはもう何度目になるかわからない、ファンダリアとの外交任務の仕事を始めて3日目のことである。
一昨日の夜に到着し、昨日ウッドロウを始めとしたファンダリアの要人と面通しをした時には特に体調の変化はなく、夕方から夜間にかけてはウッドロウとともに過ごし、完全に朝になる前に一旦他国の要人が寝泊りするハイデルベルグ城の敷地内にある宿泊所に戻った。旅の疲労感が無かったわけではないが、これまで何度も往復をしている身の上、今更問題にする程ではない。
今朝起床した時、若干頭痛がしたので携帯している薬でもって抑えつけた。タイミング的にはその効き目が切れた頃だろうか。いつもはよく効く頭痛薬も今日は痛みを根絶してくれるまでには至らず、一部分に鈍痛が残ったままであった。仕事中は紛れていたものの、昼食時になっても何故か食欲が湧かない。だがまだこなすべき仕事がたくさんあり、何も食べずに過ごすのは後に響くことをこれまでの経験で嫌というほど理解しているので、無理矢理バターもジャムもつけずパンを頬張った。コーヒーの匂いや紅茶の渋さは受け付けず、水で流し込む。国許の玄米茶が恋しかった。
それが逆流したのが2時間前の午後3時。周りの人間から少し青い顔を心配され、早目の休養を勧められて宿泊所に戻って来た今。
体温計を借りて熱を測れば38.4℃の数字。平熱が36℃前後の自分には厳しい数字だ。
今から医者にみてもらえば適切な処置をしてもらえるだろう。しかし――以前、この国で医者のご厄介になった際(その時は移動中に足を捻って軽い捻挫をしたのだが)国賓とはいえ必要以上ともとれる処置と絶対安静を言い渡され、その後2日ほどまともに宿泊所から外出することができなかった。自分の身を心配しての善意の指示だったので破るわけにもいかず、しかしながら二度とこんな手持ち無沙汰の日を設けたくないと思ったものだ。おまけに当然ウッドロウの耳にも例外なくこの一件は届いていて余計な心配をかけさせてしまった。
そんな出来事もあったので、もし今医者にかかってしまえば明日一日寝て暮らしましょうと言われる可能性が高い。明日以降の仕事の重要性を説いてもウッドロウの耳に入ればキャンセルされてしまってお終いだ。
その事態だけは避けたいジョニーとしては、今日医者に行く選択肢を消去した。そう決めれば一分一秒でも早く休むが得策であり、このままふとんをかぶって眠ってしまえば多少はマシになるだろうと、上着を脱ぎ捨て首元とベルトを緩め頭から毛布を被って眠りについた。
次に意識が戻ったのはまだ真夜中のこと。身体の節々が痛い。その不快さで再び望ましい眠りに至ることができず、そのまま朝を迎えてしまった。最悪の朝だった。

2日後の昼下がりには再びウッドロウと会う約束をしている。夜はそのまま共に過ごせるはずだ。だがその為にはスケジュールに穴を空けるわけにはいかない。滞在時間は仕事をこなす時間しか与えられておらず、プライベートタイムを獲得する為に過密と言えるスケジュールを組んでいるので30分でも遅れが生じればそれで終わり。
重い身体を引き摺ってベッドから出ると悪寒が走る。身体が痛い。頭痛もそのままだ。ノロノロと着替えを済ませて顔を洗うと少しだけすっきりした気がして、何とか今日一日もたせようと、熱い息を長く吐き出した。食欲は湧かない。空腹のままで服用するのは身体に悪いとは知りつつ、残り少なくなった頭痛薬を水で流し込んだ。

***

いつもは必要以上に愛想がいいジョニーにしては淡々としていた、とは、業務上よく顔を合わせる間柄の政務官の談。それ以外には少しだけ顔色が悪く見えたともそうでもないともどっちつかずの評しか下せなかったのは、決して彼の観察不足であると責められない。元々必要以上に白い顔のジョニーはたとえ酒が入っても滅多に顔色を変えることがなく、喜怒哀楽の怒と哀の表情を見たことがあるのは恐らくファンダリア国内の人間では片手で余る数しか存在しない。つまり今日のジョニーが体調不良であることを見抜くことができるのは彼と余程親しくてかつ洞察力の優れた医者でもなければ土台無理という話。残念なことに、否ジョニーにとっては好都合なことになるのだが、ファンダリア国内に該当の人物はいない。
故にジョニーの身を案じ、ストップをかける者は手近には存在しなかった。もしこの時、この国で、いや世界で唯一彼と心まで通い合ったかの国王が彼のそばにいたならば――しかしそれは到底叶わぬことである。2日後といえば2日後。その約束が事情によりキャンセルされることはあっても、約束が増えることは今や外殻に穴を空けたよりも難しいことだ。

仕事に集中していることで身体は動かせているし、思考もまた同様。粛々と仕事をこなして予定よりも時間が余り、面のわれて無さそうな町医者にみてもらおうかとも考えたが、どうせなら次の日に残してある仕事を一つでも多く片付けてしまえと、結局そのままあちこち動き回った。テンションも高いままだったので一時的に身体を取り巻いていた鈍痛とだるさも軽減されていたが、日が暮れ始めると共に猛烈な吐き気と頭痛に襲われ、宿泊所に戻ると同時にベッドへ倒れこんだ。辛過ぎる。何も食べていないのに内部から逆流物がせり上がり、異常な酸っぱさが喉を焼く。こんな状態で明日一日もつだろうか。いや、2日後ウッドロウに会うまでに治ってくれるだろうか。どう考えても無理な気がする。次の滞在予定が確定していない今(今後ファンダリアに来れるかどうかは今回の己の働きぶりにかかっているのだ)ほぼ確実に面会できる2日後に、ウッドロウには会いたい。しかし風邪という伝染病を国王に持ち込むのはあってはならないことである。会いたいのに会えないかもしれないという堂々巡りの葛藤は、急激な眠気によって遮られた。

***

次の日も予想通り、いや予想以上に最悪の朝だった。寝坊予防の為、来訪初日にセットする二つの目覚まし時計は大抵鳴る前に止められるのであるが、今日はその両方を鳴らしてもまだ身体が目覚めなかった。起き上がるのもやっとで、立ち上がるとフラフラと足元がおぼつかぬ程である。幸い前日に無理をしたおかげで(そのせいで余分に悪化しているとも言えるが)午後の早い時間帯に仕事を終えられそうだった。
ところが国許から一つ二つ、追加の仕事が舞い込んできたのである。最後の頭痛薬を流し込んだ後に届いたその案件に、さすがのジョニーも一瞬目の前が真っ暗になったが、帰ったら倍の休暇を請求してやると心に誓って引き受ける旨を電信するよう宿泊所のスタッフに依頼し仕事に出向いた。

さすがにこの日のジョニーの顔には体調の悪さが浮き出ていたらしく(ただそれでもそんなに重症ではない認識しかされなかった)いくつかの案件では彼を気遣って早い目に切り上げられた。その点は救いだったが、増えた仕事のおかげで結局この日も日が沈むまで働き詰めだった。限界が来たどころかむしろ飛び越えてしまい、気力だけで動き通せただけである。
外での仕事は何とか終わらせたがまだ書類面が残っている。これについては――やむを得ず明日のウッドロウとの面会を極短にしてその後の時間でこなすことに決めた。本当なら明日の昼から明後日の朝まで一緒に過ごすつもりだったが、こんな酷い風邪を抱え込んだ状態で長時間一緒にいることなど到底無理だ。その点は諦めたからせめて帰る前に挨拶だけでも、と最早ささやかに願うばかり。どうせ怒鳴られるなら国許のかかりつけの医者に診て貰った方が気が楽だ。久しぶりに俺って最近なかなか不憫だなあと自嘲気味に苦笑をひとつ浮かべ、頭痛と背中の痛みと闘いながら必死に身体を休めた。

シャワーを浴びたい。目覚めてまず最初に思う。
とはいえ、汗という汗は実はほとんど出ていない。熱が下がろうとしないのはこの為だ。だが皮脂のべとべとした感触がなんとも気持ち悪かった。ブルリと悪寒が走り身体も相変わらず痛くて、思い描いた行動をすぐ霧散させる。一番の希望は「動きたくない」ことである。
日はもう高く昇っている。ウッドロウと会った後はすぐに帰国する予定に変更したから、出立できるよう今の内に手荷物をまとめておかなければならないことを思い出し、面倒くさくなって天井を仰いだ。何もしたくないのに何かをせざるを得ない現況がただただ鬱陶しく哀しい。
そんな哀れな青年に更なる追い討ちが発生した。今日になって喉まで痛み出してきたのである。今までなんともなかったのが不思議なほどで、今や唾液を飲み込むことも苦労する。幸い、声を出すのは辛いがまだ出ないことはないし、かすれも生じていない。鏡を覗き込むと顔は今日は青くなく、どちらかと言えば赤い。短時間の面会なら多少の体調不良程度にしか思われないはずだ。突っこんできたなら日に焼けたと言い張れば済むことだ。
熱を測るのはやめておく。3日前のあの数字は見間違えということにしている今、数字を再び見てしまえば自分で風邪を認めてしまうことになる。シデン領へ帰るまでの辛抱だ。それから後は病人と公言して休暇を過剰に取って延々と惰眠を貪ればいい。今回の仕事は一部書類面を除いて全て消化している。書類に関しては持ち帰って2、3日中に仕上げればそれでも別に構わない。後は明日中に帰国すれば今回フェイトから指示された内容を完璧にクリアする。
ここ数ヶ月間の激務がとりあえずは一旦やっと終わる。
まだ前の季節だった頃のことである、ジョニーが出したある要求の見返りとして――フェイトからしてみればジョニーの要求は許し得ない内容だったからこそ――連日ほぼ日程内に捌くのは不可能な分量の仕事をこなすよう指示したのである。できなければ却下、の一言で取り付く島も無かった為、要求を飲ませる為に言われた仕事を黙々と処理し続けた。
そして今回のファンダリア訪問。今まで押し付けられた仕事の内で最も多かった。はっきり言って無茶苦茶な量であったがこなさないとこれまでの苦労が水泡に帰す……ジョニーが無理をした理由はこんなところである。
全ては、彼との時間の為に。

***

予め、国許での用事が入った為すぐに出立しなければならない事はウッドロウの耳に入れてもらっているはずだ。
熱に侵されて思考が極端に愚鈍になっている。いつものような切り返しができるかどうか少々不安だ。ふらふらと足元が揺れている自覚もある。しかし取次ぎの従者の目には特に不審に思われなかったらしい。多分大丈夫だろう。
一人、ウッドロウのいる執務室へと向かう足取りはいつものように軽やかではない。熱い己の額に冷たい手を当て、熱を吸収する。角を曲がり執務室が目に入る。いつもは扉が閉められているのであるが今日は何故か開いていて、ウッドロウと従者(恐らくダーゼンだろう)の姿が見えた。都合がいい、とジョニーは思った。誰かがいた方が適当に話が切りやすく、そんなに長引かないだろうとふんだからである。視線が定まらない。地に足が着いていない感じばかりに囚われているが、なるべくしっかりとした歩調で部屋に近づいた。
数歩足を進めたところでウッドロウたちがこちらに気づき、早足でこちらに向かってくる。おいおい王様がわざわざ出向いてくれるなんてどういう風の吹き回しなんだと思いつつ、それ相応のリアクションを取ろうと試みる。
「陛下自らお出迎えしてくれるとは、光栄だな」
努めて明るい口調だったはずだ。何もおかしくはなく、普段の自分からそんなに逸脱していないはず。だが、ジョニーのそばまでやってきたウッドロウはジョニーの顔を見て黙したまま動こうとしない。若干顔が強張っているようなのは気のせいだろうか。
「おーい、どうした?俺の顔に何かついてるか?」
沈黙に耐え切れずジョニーが茶化すよう、ウッドロウに呼びかける。それでもウッドロウは暫くジョニーの顔を凝視し続けた。やがてジョニーに起こっている或る変化をポツリと呟いた。
「・・・目が、赤い」
「え?」
顔が赤いと突っ込まれるかもしれないと予想していたジョニーだが、目の方を指摘されて面食らう。直球ストライクを待っていたのに、変化球がすっぽ抜けてデッドボールをもらった打者の心境だ。
さらに予想外のことは続く。
「何を・・・!?」
目の変容を指摘した後、ウッドロウはジョニーの額に手を当ててきたのである。
「すごい熱!やっぱり様子がおかしいと思ったら・・・!ダーゼン、すぐに医師を!」
「はっ、かしこまりました!」

なんで、こんな即行バレてんだ・・・?

半時間程度の面会、隠し通せると思ったのに、と。
信じられない表情を浮かべつつ、ジョニーは人の手から離れたマリオネットようにその場へ膝を折った。
ジョニーさん、とすぐそばにいる彼の、自分を呼ぶ声が遠い。ああ、ここで気を失うわけにはいかないのに、とジョニーは思うも、急に訪れた浮遊感と温もりが想いのほか心地よかったので、これ以上抗う気が失せてしまったのである。


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タイトル配布元 : 空飛ぶ青い何か。
風邪ひきネタへシフト。隠し事をする人が身体を壊すと大事になる例。09/06/14

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